さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

【男のホンネ】アラサー男子のリアルな結婚相手の条件。給与水準が同じでないと結婚相手として見られない。その理由。

こんなことは絶対に文章にしてまで言う必要はない。

だけれども、あえて今日は書くことにした。

結婚相手に求める条件について。

 

20代後半になって
将来を考えるようになると
自然と相手に求める条件が変わってくる。

 

相手がかわいいだけではともに世間の荒波を越えていけない

 

そう思うようになったのはいつからだろう。


不動産屋のホームページで
理想の物件の条件をどんどん付け加えるように
スマホ画面にタップ一つで女性に求める条件にチェックを入れる。
検索ボタンを押す。
付け加えた条件だけ自分への価値が問われる。

いつもこの瞬間に
少し頭が醒めて嫌な気持ちになる。


ジェンダーレスの時代だ。
男だから外でたくさん稼ぐ
女だから家の家事を多めにするという
考え方がそもそも適切ではない。

 

家事は分担することが当然だし
自炊は早く帰ってきたほうがすればいい。

片方が仕事に打ち込みたいなら片方が支えられるような関係性でいたい

 

世間的にはこれを内助の功や鶏鳴の助と言うのだろうが

言葉の意味を調べると、夫を助ける妻のことを指し

ガビガビの亭主関白なようでふさわしくない。

縁の下の力持ちというには二人である夫婦関係には

あまりに登場人物が少ないような気がしている。

 

偉大な慣用句でさえもジェンダーの波にはからめとられてしまっている。

適切な言葉、誰か知ってませんか?

 

 

私が望む関係性は

片方が大変なときに片方が助けられるような関係であること
これでこそ、家事を折半することの真価は発揮されるから。


要するに私は似た者同士カップルであることを望んでいる。

 

もっと平たく、容赦なく言ってしまえば


自分と同程度の経済力がある

というのが私のリアルな結婚相手に求める最低条件だ。

 

 

 

互助としての結婚。給与水準が近いことの最大の効果は何か?

今の時代、自分で
料理ができない男性というのはあまりいない。
進学や一人暮らしの経験を得て大半の男性が

料理をはじめとした家事を経験している。

その点で昔と比べて、ジェンダーや家事分担の格差は減ってきている。
育児休暇を取る男性もちらほら見かけるし、良い傾向ではあると思う。

それでもなおすべてを五分五分に
平等にしようと思うときに
障壁になるのが夫婦間の所得格差だ。


これをクリアする難易度は、居住地によって大きく左右される。

私が住んでいる地方では年収400万円以上の女性は
同年代では、看護師をはじめとした医療職を除いて皆無だ。
大半が200-400万円である。
また保育士の中には200万円未満の女性もいる。
どうやって暮らしているんだろうと思いながら

やりきれない気持ちになってしまう。

 


とはいえ給料は同程度であることが理想的。

 

なぜそう考えるのか?
それは結婚生活には互助の精神が必要だと思うから。

 

大変なときに助け合える関係性というのが肝である。

一方の仕事が忙しいときに
もう片方が踏ん張るというのが一番イメージしやすいが
これが真価を発揮するのは病気になったときだろう。


癌や精神的な病気の場合、長引くため、想像以上に出費がかさむ。
そして、仕事も今までのようなペースで働くことは難しい。
そのときに夫婦間で、給与水準に傾斜があると非常に辛い。

 

だからあくまでも踏ん張る方が
少なくとも職業面において
現状以上の努力が必要になるのではダメ。

無理がたたって疲弊してしまうから。


ストレス社会にさらされていて
10年後の自分なんて当にわからない。

 

職場がなくなるかもしれないし

仕事をやめなければいけなくなるかもしれない。
過酷な人生100年時代を私たちは生きている。

 

それならば夫婦は互助としての側面が大きくなってくるのではないか?


片方に寄りかからない関係性だから、お互いが惹かれ合う

 

私の経験上、家事を負担し合うことに対して
否定的な女性には会ったことがない。

 

できる限り、五分五分で折半することが
望ましいと思っている女性が多い。
この関係性は非常にフェアだ。

私も一方に寄り掛かるのはどうかと思う。

 

 

でも、何もかも五分五分、フェアというところに

ツマらない、寂しい

という感情を抱く人もいるかもしれない。

しかし、私が言いたい五分五分というのは
いずれかが困っているときに
柔軟に負担割合を変えられる状況に身を置くというところにある。

 

ただ問題点としては

お互いが自立しているゆえに双方が別れを切り出しやすい

という点は存分にある。

それでも愛の枯れた関係性を
ごまかしながらズルズルと続けるよりは
お互いにとって、ずっと健康的ではないか?


嫌になったら、いい人がいたら
その人のところに行っていいよ

 

という度量、余裕と生活能力があったほうが
お互いが相手にかまけることなく危機感を持つことになる。

 

互いを思いやれるからこそ

もっと妻にモテたい、夫に愛されたい。魅力的でいよう。

と努力するようになる。


こうして、お互いがもっと惹かれ合うのだと思う。

 

お互いに仕事に熱心に取り組み

家事というタスク、デイリーミッションを

できるほうがこなすということがかえって強い精神的結びつきになっていく。

 

思い出してみてください。付き合っていたころを。

手料理を一緒に食べている瞬間より

喋りながら、一緒に料理を作っている瞬間のほうが楽しくありませんでしたか?

 

だからこそ
家事に協力的なアラサー男子が結婚相手に望むことは
性別分業意識を排除した関係性であってお互いが対等である関係性。
とどのつまりが、同じ程度の所得水準ということになる。


そしたらまた。

 

 

 

☆愛についてのブログをまとめました。

こちらから。

 

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