さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

「どっちでもいいよ」と発言する男の不甲斐なさ。これは断じて優しさではない。

決定をすることは生きることである。
すべての行動には決定という行為が
ついてまわる。
それなしには何をすることもできない。

 

ケンブリッジ大学の研究によると
私たちは1日に3万5000回もの
決断をしているという。

なんと膨大な数であることか。
でも考えてみると納得もできる。

 

通勤だけでも

  • 歩くor自転車
  • 傘 いるorいらない
  • ゴミを出すor出さない
  • どの洋服を着るか

 

簡単に思いつくだけでもこれほどある。


何をするにも選択と決断をなしには
できないことがよくわかる。
そしてその膨大さゆえ

私たちは日々たくさんの選択で消耗している。


そのため、選択という行為さえ手放し
何もかもどうでも良くなる瞬間が存在する。


これは誰にでもあるし
咎めるようなことでもない。

ただ私がこの「選択」に対して
甚だ不満に感じているのは
何かしら決断の局面において
「どっちでもいいよ」
という発言ばかりをする相手だ。

 


「どっちでもいいよ」という言葉が嫌いな理由

ハッキリ言って、私はこの言葉が嫌いだ。
しかし、時々自分自身使ってしまうし
そして、これが口癖になっている人も良くいる。

それほどに世界にはこの言葉があふれている。

 

どうして私がこの言葉が嫌いなのか?

それはこの発言をする相手が

寛大で優しいような姿を振る舞いをしていながら

実のところでは、全部の選択を丸投げするズルさにある。

それでありながら

「オレは譲歩してやったんだぜ」

的な構図で、相手の好みに忖度したうえで

下手に出なければいけないところも不満だ。

つまり、譲歩した分相手に貸し1を作ったようなことになる。

 

さらに先ほど説明したように選択というタスクをせずとも、

恩恵を享受できる、いわばフリーライダー

(経済学の用語で、対価を支払わずに利益を得る「ただ乗り」する人のことを指す)

のようなところも嫌いだ。

おなじことをするという対等な関係性であるのに

どちらか一方だけに全選択を押し付けるのはいかがなものか。

 

また、一方的に振り回されることにも不満がある。

「どっちでもいい」ばかり言って

  • もしかしたら本当は嫌がっているんじゃないか…?
  • 本当はこれをしたくないんじゃないか…?

と言外の想像を巡らせてしまう。

自分だけが散々に振り回されることが嫌いだ。

 

 

これが恋人以上の関係性であれば

徹底的に尽くすことに対して、1度や2度なら楽しいことは否定しない。

恋人のような関係性であれば、振り回されたほうが楽しい部分はある。

ただ、継続的に「どっちでもいい」という言葉を言われればどうだろうか。

私は少なくとも10回言われた段階で冷める。

いや、もっと早い段階で冷めるかもしれない。

 

「どっちでもいい」という発言をしている人の

悪質なところは、相手の立場を想定できない、共感力の低さにある。

 

単刀直入に言って想像力がない。

だから学習することがない。

面と向かってその発言は悪質だ、なんて言ったところで

実感がないのだから理解に苦しみ、ただ関係性をこじらせてしまいそうだ。

悪意のない悪質さほど害悪なものはない。

 

どうして想像できないのか?

それは実体験がないからだ。

相手に「どっちでもいい」と言われる前に

自分が「どっちでもいい」と言ってしまうから気づかないのだ。

早い話が、手詰まりなのである。

 

 

親しき仲にも礼儀あり。「どっちでもいいよ」人間と距離を置くことのススメ

 

なぜ彼らは、口癖を直さずにこの言葉を発し続けるのか?
その理由は簡単だ。
それはこの言葉の問題意識が薄いからだ。

本当の意味で問題発言であるなら、即刻訂正されるし

二度と同じことを言わないように心がけるものだ。

 

選択という観点において「どっちでもいいよ」は

フリーライダーであるという話をした。

相手の決断にタダ乗りしているところが嫌いだ。

フリーライダー相手ら、私がした決断に

時給を発生させて上乗せして支払ってほしいくらいである。

全くをもって選択をする側に一ミリたりとも良いことがない。

 

だから極論を言うと

「どっちでもいいよ」という人とは距離を取るべきだ。

何もかもを丸投げしてくる相手にモヤモヤして付き合うくらいなら

ちゃんとお互いに意見をもって提示できる関係性のほうが健全である。

 

これは恋愛関係のみならず、友人関係においてもだ。

そもそも、「どっちでもいいよ」と言う人には礼儀がない。

相手を一人の人として尊重しているならば、

どんなに口癖として染みついていても、こんな言葉が言えるのか?

ということだ。

 

推しのアイドル相手と親密になったとしたら

彼らは「どっちでもいいよ」だなんて言わない。

つまり、相手を尊重しているように見せていながら

ぞんざいな扱いをしているのだ。

これを潜在下で彼らはしているのだ。

悪意がないから悪質極まりない。

 

最近考えたのだが、彼らが言う「どっちでもいいよ」

という言葉の前には「あなたなんて」が入っている気がする。

大概において「どっちでもいいよ」という発言ばかりをする人に

「別れたい」といったら、返ってくる言葉は、一つしかない。

無理に関係を修復するような言葉は天地がひっくり返っても出ない。

 

だから私は「どっちでもいいよ」発言ばかりをする人とは

距離を置こうと思う。

そしてあなたの目の前に「どっちでもいいよ」人間がいるなら

彼らは優しくともなんともないという事実に早く気づき

いち早く魔法を自分で解くよりほかない。

 

そしたらまた。

 

 

☆気をつけたいことリストをまとめました。

こちらからどうぞ。

 

doppy-yan.hatenablog.com

 

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