さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

いい人って言われたくないあなたへ。いい人と優しい人の違いは何か?

はじめて会う人と話をする。

喋っていると「いい人だね」ってその相手に言われることがある。

私はこの瞬間に、とてもモヤモヤして気持ちが萎えてしまう。

 

相手は良かれと思って「いい人」と言ってくれたのかもしれない。

そう汲んでも、そのもらった言葉にプラスな印象を感じていない。

というのも「いい人」と言われることは

自分自身が「いい人」であるように強要されている気がするからだ。

 

1.「いい」人とは?

 

そもそも「いい」ってなんなんだろう。

ツイッターでは共感したり、良いと思ったツイートに対して「いいね」を送る。

この場合はモヤモヤしない。

「いいね」をもらえば純粋にうれしいし

自分もいいなと思った場合には喜んで「いいね」ボタンを押している。

 

「いいね」というワードが自分の手を離れたものであれば、純粋に嬉しい。

けれど、「いいね」の矛先が言動などの動作

自分にとどまっているものに対して、「いいね」をもらうと複雑な気持ちになる。

怯んでしまうのだ。

思いがけない言動に対して

「いい人」だと言われても自覚症状がない。

 

自覚症状はないからこそ

「いい人」だと言われると本来歩いている自分の道よりも

少し「いい人」側に歩み寄ろうとしてしまう。

そこで自分が「いい人」側に寄せていこうとしていることに気づき、ズルいと感じる。

 

2.相手に「いい」という漠然としたレッテルを貼り付けること

 

心理学的に見ても言霊というのは存在すると言われている。

言葉には力があるのだ。

だからこそ、「いい人」という言葉をもらうと

「いい人」になるつもりがなくても、もらう前以上に意識させられることになる。

 

そしていい人でいなければならないと感じる。

「いい人」という言葉によって

「いい人」であるように強要させられている感覚を覚える。

 

その結果、自分のスタンスがブレてしまうのだ。ただ普通にありのままでいたいだけなのに。

 

雰囲気の似たような言葉に「優しい人」という言葉がある。

これも言われることがあるが、あまり嫌な感じがしない。

 

おそらく「優しい」という言葉は多様な解釈を許す余地がないからだと思う。

「優しい」は「優しい」でしかない。

比べて「いい」は「良い」であろうが、捉え方は非常に漠然としたものを感じる。

何がいいのかがよく見えてこない。

 

3.いい人は透明、良くも悪くも色がない

 

浜崎あゆみも歌の中で

「「イイヒト」って言われたって「ドウデモイイヒト」みたい」」

と言っている。

きっとこの感覚だ。

良いという言葉の漠然さにリアクションができず、モヤモヤしているのだ。

「いい人」っていうのはその人を的確に説明する表現が見つからないから

ある意味「どうでもいい人」なのだろう。

 

僕も確かに誰かに対して「いい人」だなと思う瞬間がある。

その「いい人」というのは自分と一定の距離があるという点で共通している。

「いい人」は本来なら「いい人」ではない。

自分と相手の心理的距離が一定の距離で伸び縮みしない。

相手が定点から動かないというところが

「いい人」が「いい人」である理由だと思う。

良い人は良くも悪くも波風がたたない。

自分を表現することに奥手なのだろう。

これは非常にもったいない。

 

普通にしていると人は「いい人」という印象与える。

「いい人」は透明なのだ。透明は何色でもない。

それが、距離が近づいて相手を知っていくうちに「優しい人」に変化するのだろう。

 

放っておいても「いい人」であることは諦めるしかなくて

万人から言われたくないというのは無理な話だ。

さっさと諦めて言わせておけばいい。

 

それよりは、自分のよく接する人にどう思われたいかである。

その人から「いい人」と言われるのはツラい。

だからこそ、一定の距離をおかずに、他者を恐れないでかかわっていけばいいのだ。

 

そしたらまた。

 

◎いい人こそ、対人関係に媚びるべきではないと思う理由について

解説しています。こちらからどうぞ。

 

doppy-yan.hatenablog.com