さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

大人に求める人物像とアイデンティティ。美魔女ブームと若者文化に媚びる中年の姿から考える。

大人につれ
老いとの戦いは通過儀礼であり

重要な課題になります。

 

年をとると誰もが
若々しくありたいと考えるようになり
巷では
「奇跡の50代」や「美魔女」のように

実年齢より若く見えることばかりが
褒めそやされています。



容姿を若く見えるように努力することは
果たしてそれほどに重要なことなのでしょうか?
自分の容姿や外見に固執してしまう理由はなぜでしょうか?

 

1 「美魔女」に対してモヤモヤすること


この問題において最も議題に上がる対象は
美魔女と呼ばれる女性たちです。

 

彼女たちの美容に対する努力は
並大抵ではありません。
美容に休日はなく、彼女たちは毎日一時間以上

美容に時間を費やしています。

 

もちろん美容に気にかけることは
大切だと私も考えています。


美容に対しての私見は過去のコラムで
解説しています。

こちらからどうぞ。

doppy-yan.hatenablog.com

 

私にとって美容とは清潔感です。


娘と肩を並べて街を歩くと
姉妹のように見える

といったレベルまで
過度に美容を気にかけていることに
疑問を感じてしまいます。


現に彼女たちは美魔女と呼ばれます。
魔が差しています。


周りの美人だとか奇跡とか言いながら
魔女であることに関しては
否定する心を持ち合わせている人は少ないです。


自然の流れで
「美魔女」になってしまったのなら
それは良いことですが
老いという避けられないものにあらがって

わざわざ膨大な時間まで費やして、若くあろうとすることには
やや恐ろしささえ感じてしまいます。


2 外見と内面はトレードオフ


学生時代に好きだった子のことを
思い出してください。

 

どんな子でしたか?

 

 

女子からみた男子は

  • スポーツがうまい子
  • 勉強ができる子
  • シンプルにかっこいい子

 

男子から見た女子は

  • かわいい子

 

です。

つまり、幼い頃はシンプルに
印象と容姿を重視するのです。

それは、評価の物差しが少ないからです。

重視というより、それでしか選べないというほうが適切かもしれません。

 

ですが、大人になると
カッコいい、かわいい
だけではダメです。

どんなに容姿がカッコよくて、紳士的な対応をしてくれても、

虫を見て、大声で悲鳴を上げて逃げたなら
百年の恋も冷めるでしょう。

 

大人になるにつれ容姿の比重は下がります。

そして、重視するようになるのは

その人の言動や性格、教養、社会的な地位のような部分です。

たくさんの要素ができるにつれ、評価軸は複雑になりました。

 

そして、新たに増えてきた要素は内面的ばかりで

これは年を経るごとに増えていきます。

 

よって容姿よりも内面が重要になってきます。

 

極端な例ですが、同じような容姿の二人(Aさん、Bさん)がいたとします。

会話をしているうちに時事の話になりました。

 

ウクライナ情勢の話」になったとき

Aさんはこの話に対して、ちゃんと自分の考えをもっていて

やや風刺したようなシニカルな発言をしました。

 

対してBさんは、話題を振ると

「そんなことわかんないし、遠い国の話でしょ?
それよりさ、スタバの新作、焼き芋のフラペチーノだって!気にならない?」

と言います。

 

人によって好き好きあるでしょう。
20代であればBさんも
かわいいかもしれません。

いや正直にいいましょう。
かわいいです実際。 
 

単純な生き物である男は
知性あふれる魅力的なAさんの良さに気づかず
短絡的なキラキラさを持っているBさんに惹かれてしまうのです。
なんと悲しいことか…


でもこれが40歳の口から同じような言葉が
出てきた場合どうでしょう?

「いい大人なんだから…」

とか
「自分なりの意見、全くないの?」

と思うはずです。


つまりBさんがかわいいのは
若者という属性のアドバンテージがあるからなのです。

 

そして若者という属性を持てるのはただ一つ。
実年齢が若いことだけです。

 

こうして
Bさんがせっせと容姿を磨いているあいだに
知性を磨いているAさんとの間に
埋められないほどの人間としての深みにおいて溝ができるのです。

 

だからこそ、外見と内面はトレードオフの関係性にあります。

 

3 流行曲を話題に若者に絡む中年のダサさ

 

流行りの曲がでると、中年男性の一部のなかで

「俺知ってんだぜ、あれいい曲だよな」

的なノリで絡んでくる人がいます。

 

申し訳ないのですが、すごくダサいですよ、この行為。

 

どうしてダサいのか?

それは、簡単に若者文化に迎合してしまうところにあります。

言い換えて言えば、ミーハーなのでしょう。

極めろとまでは言いません。

ただ、ちょっと知っている程度で絡んでくるところに

違和感があります。

 

簡単に乗っかってくるところに、人間としての薄っぺらさを感じるのです。

幾度となくヒットチャートはあっただろうに

事あるごとにそれに乗っかっていたことで

あまりにも自分の存在が透明で

人間としての面白みに欠けるのです。

 

長年生きてくれば、自分なりのポリシーなり

色というものがあっていいはずです。

 

でも、若者文化に迎合する彼らにはそれがない。

時代の流れとともに揺られて中年になってしまったところに

一人の人間としての興味深さが薄れてしまうのです。

 

正直なところ、音楽評論家でもない中年と

ヒットチャートについて語るくらいなら同年代の友人と会話します。

どうせ薄っぺらいの想像できるし…

 

これは個人的な意見ではあるのですが

若者に乗っかってきて流行に媚びる中年より

 

サブカル街道を突っ走っていて、「こんなオッサンの話…」

と前置きしながら、自分の個性を会話の端々からにじませつつ

本当に楽しそうに嬉しそうに話をしている人が好きです。

 

むしろ聞きたいです。

この人はこうやって人生を生きて、

自分像を作り上げてきたんだなと思うと

なおさらその人に対して興味を持つし

媚びずに自分の好きなものを追い続けるところに

人間としてのセクシーな要素があります。

 

 

大人に求める人物像は確固とした自分というものを持っている人です。

本当に好きとなったものだけを押していくスタイル。

簡単に社会や文化になびかない人間としての芯の太さです。

 

彼らは文化や社会に自分なりのフィルターをもち

本当に必要なものだけを取り込んでいます。

やがて、年をとるにつれ醸成し

その人自身の味わいとなり、魅力です。

 

だからこそ、大人に求められることは

簡単になびかないアイデンティティが必要なのです。

 

そしたらまた。

 

 

 

◎媚びない生き方のススメについて解説しています。

こちらからどうぞ。

 

doppy-yan.hatenablog.com

 

doppy-yan.hatenablog.com