さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

カリスマ専業主婦に対する違和感。過度な節約と不寛容。働いて稼いだほうが楽しくない?

 

上がらない所得に反して、労働者世代が負担する社会保障費の割合だけがどんどん増えている。
若者の手取りが少なく苦しんでいる理由の大きな部分は増大する社会保障費だ。
 
平均的な所得層の金銭面での関心は
お金をどう使うか? ではなく
お金をあの手この手でどうやってセーブするか?
というところである。
 
 

カリスマ節約主婦というバケモノ

 
節約に関する特集はあちらこちらで見かける。
雑誌、テレビの放送、ウェブコラムにもよくある。
あちこちで見かけるのは、その特集が人気があるからだ。
誰もがせっせと節約している様は想像に難しくない。
みんな自己投資をする余裕すらなくて
いま手元にあるものを守ることにしか興味がない。
あるいは自分の可能性が信じられないのだろうか。
そりゃあオワコン化するわこの国、と改めて気づく。
 
メディアで取り上げられるたび
そこに出演しているのは一般の主婦だ。
カリスマ主婦と銘打って紹介されるがそのほとんどは節約術だ。
ハイレベルな家事術よりも関心は節約術だ。
専業主婦の本文って節約なのだろうか。
 
節約することは大切だ。
それでも私はこのようなカリスマ主婦がしている節約が全く参考にならない。
それは彼女らがしている節約が過度すぎるからだ。
とても真似できない。やったとて三日と持たないだろう。
きっと彼女たちが専業主婦だからできるのだろうと考えてしまう。
 
そして、そこまでして得られる報酬が節約だなんて尻すぼみすぎて全くワクワクしない。
この国にこの国民ありって感じがする。とても嫌だ。
 

節約と不寛容

 
私も節約をすることは大切だと考えている。
そこに違いはない。
しかしその条件は
無理のない範囲内でストレスフリーであることだ。
私の節約をする目的は
したいことにお金を費やすための一時的な貯蓄としている。
将来の資金のための節約というのはやや違和感がある。
そこには際限がない。
お金はいくらあっても足りないとよく言うし…
 
目的がそれなら、iDeCoやはなから天引きされる
投資商品を定額購入すればいいだろう。
必要以上に未来のお金の心配をすることはバカげている。
何のためのセーフティーネットはあるのだろうか?
 
 
安い商品を買うために
何店舗もスーパーをはしごする主婦がいる。
これはいつも疑問を抱く。
何件もはしごするために要する時間。
わざわざ車ででかけてまで買いに行くために消費される燃料費と車の維持費。
まして自分の労働価値を0円とみなしている。
専業主婦は0円で働いているコスパの悪い仕事だと言いながら
反対では自分の労働価値を限りなく安く見積もって、スーパーをはしごするのだ。
 
自転車で20分離れたスーパーを往復して30円安く購入できた国産豚バラ肉よりも
あなたの価値は安いのだろうか?
 
一度胸に手を当てて考えてみてほしい。
時間に対してのもったいない感性が死んでいる。
食べ物をもったいなくしたらひどく怒るのに。
 
 
 
 
◎時間というモノの価値について料理を例に解説しています。
こちらからどうぞ。
 

必死にポイ活、節約するくらいならいっぱい働いて自由なお金を得たほうが楽しくない?

 
パソコンを駆使して、ポイントサイトを回りまくり
一円単位の報酬まで集めているカリスマ主婦もいるらしい。
この域までくると、もはや節約ではない。
 
これは
節約という手段の目的化である。
節約をしてるのではなく
ポイントを集めることが趣味になっている。
 
本人が趣味で楽しんでいるうちはいいだろう。
でも、これを子どもにも強要するのだろうか。
ペーパータオルは一回につき2枚まで
とか指定しそうだ。
そんなことは息が詰まる。
過度な節約はいつか不寛容を生む。
 
 
子どもが保育園に通えないほど小さいうちは
節約生活もまた楽しくていいかもしれない。
 
でもこれは人生の1,2年で十分だ。
どうしても育休によって、減ってしまう分を補填する程度なら良いかもしれない。
仕事に復帰するまでの内職のように捉えておくべきだろう。
 
いずれにせよ節約やポイ活が専業主婦の稼ぐ要素であるべきではない。
自分で働いて稼ぐよりも、ずっと安い額面だし
ケチケチ精神が骨の髄まで染みついてしまいそうだ。
これは何よりも避けたほうがいい。
 
 
◎過度な節約をしていた専業主婦の実例です。
私が専業主婦を好きではない理由がよくわかると思います。こちらからどうぞ。
 
 
ケチは節約ではありません。
浪費とみなしていろいろな可能性をかき消す。
典型的にお金に人生を翻弄される人間になってしまうから。
これは避けたい。
 
本気で節約してポイ活する暮らしには生活にアソビがない。
まるで張り詰めた糸のようで
なにかの拍子で音を立てて脆く崩れてしまいそうな緊張感がある。
 
私は節約してお金を工面することに全力を出せるなら、
そのバイタリティでさっさと働いてしまえばいいと思う。
そのアイデアマンとしての素質と行動力は適所で絶対に輝くはずだから。
 
そして大変なこともあるけれど、お金は得られる。
そのお金の使い道は自由だ。自由なお金に救われることはある。
 
  • 外食すること
  • 好きな小説を買ってしまうこと
  • 新商品のアイスを買ってしまうこと
  • ハネを伸ばして遠くの街へ旅すること
 
いずれもカリスマ主婦から見れば
冒涜とも言える浪費なのかもしれない。
 
それでも、その出費が豊かさなのではないか。
気づまりしたときに息抜きさせてくれるのは、こういう出費だ。
そう考えれば決してこれらは浪費などではない。
 
豊かさやアソビがない生活のなかで
彼女らは何に楽しさを見出すのだろう。
 
やっぱりそこはたまったポイントなのだろうか?
たまった通帳をみてほくそ笑む姿が目に浮かぶ。
 
そんなのは私がなりたい大人ではない。
心の中に寛容さをもつという意味でも
働いてお金を稼ぐことはやっぱり大切だ。
 
 
そしたらまた。
 
 
◎出費と投資の違いについて
私なりの基準軸を解説しました。こちらからどうぞ。