さとブログ

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【読書感想】橘玲さん「バカと無知」 正義の鉄槌と老害とキャンセルカルチャーの関係性

橘玲さんの最新本「バカと無知 人間、この不都合な生きもの」は
6年前に新書大賞を受賞した「言ってはいけない、残酷すぎる真実」

の続編とも言えるような新作である。

 

研究から得られた知見であり

時事的な部分が織り交ぜられた、人間の心理をするすると理解できる一冊。

 

ただ一般な心理学の本と異なるのは、ややブラックであるところ。

一口に言うなら心理学サイドB面といった印象である。

 

表向きに置かれるには、あまりにも光を浴びてはいけない。

あくまでもツウが好んでしかるべき、というようなイメージである。

だがしかし、非常に勉強になるしクセになるという…

 

私自身にとっての信頼できる人は

言ってはいけないこと、わざわざ言う必要のないことを

敢えて言ってくれる人だ。

もしもあなたにとっての信頼できる人、好きな人が

私と同じであるなら、この本をぜひとも読んでみてほしい。

 

 


正義の鉄槌とSNSの助長作用。キャンセルカルチャーの台頭

 

あなたの中に正義感はあるだろうか?

正義感は、好ましいように見えて実は恐ろしい側面がある。


社会的に悪いことをした人、望ましくないことをした人を

目撃した場合どうするか?

面と向かって目にした場合、注意する人は見なくなった印象である。

注意した人がかえって攻撃される事件も少なくありませんよね。

 

現在は面と向かって正義感を振りかざす人が減った。

それとは対照的に正義感を振りかざす場はオフラインからオンラインへ

移行してきたように私は感じる。

 

現実社会でのモヤモヤすることを現実の場で発散できなくなった現代人は

そのモヤモヤを発散する場所を求めているのだ。

 

或る者はアルコール、或る者はギャンブル、或る者は買い物…

 

それ自体が悪いわけではないが

程度の問題であり、度が過ぎた場合は依存症となる。

あまりにも依存症が有名になり過ぎたことと

そもそもに不景気でお金のない上級でない国民たちは

これらの選択肢さえストレス発散の場として使うことができなくなった。

 

時を同じくしてスマートフォンが普及したことにより

私たちにとってSNSというのはとても身近な存在になった。

 

いまや、イチ市民の私たちが直接、総理大臣に物申すこともできれば

人気のアイドルと直接やり取りすることができるチャンスすらあるのだ。

これは裏返すとアプローチに労せずとも言葉の無差別テロができるということで

末恐ろしくもある。

 

これこそが正義の鉄槌である。

 

そもそも、なぜ正義を振りかざしたくなるのか?

本書の中にその答えは書いてあって

他人を非難することによって簡単に報酬を得られるからだと言う。

正義感を振りかざしたときの感覚は痛快で快感、報酬になるのだ。

 

さらに本書の中で言われているのは

世界各地でこの正義感による被害者が生まれているということ。

著名人が不倫したら、容赦なくSNSで当事者を袋叩きにする。

メディアも寄ってたかって著名人のことを尻の穴まで調べ上げ

面白おかしく、彼らの正義心に薪をくべ、火を炊きつけている。

 

このような排斥ムーブメントはキャンセルカルチャーと呼ばれ

SNSが発達した昨今、非常に問題になっている。

 

 

キャンセルカルチャーから、正義の鉄槌と老害という言葉の因果関係について考える

 

そもそも他人を批判すること

けちょんけちょんにディスり飛ばすことは果たして妥当なものなのか?

 

私はそのような批判をすること自体が

自身をフラストレーションの塊であると主張しているように思えてしまう。

 

自身の不倫に対して、国民全体に対して謝罪が必要だとか言われたり

子どものころにいじめっ子だったことを何十年も経ってから

あげつらわれて、キャンセルカルチャーの餌食に遭ったりする。

 

こうやって自分なりの正義をかざしている人の正義という概念がよくわからない。

これは正義なんかではなくて、ただの暴力の再生産ではないのか?

言葉の暴力を振りかざして、快感という報酬をノーコストで

享受している人間たちがすこぶる気持ち悪い。

 

そんなことにエネルギーを割いてないで

うだつの上がらない自分の人生に力を入れたらいいじゃないですか。

短絡的に快感を求めるよりもずっと生産的だと思うけれど。

 

老害という言葉がある。

堅物で時代遅れな、自分の価値観を押し付けてくる傲慢な高齢者を指す言葉だ。

若者にとって堅物な年長者は確かにやりにくい部分がある。

それでも、老人のことを老害だなんて言うななんて言う人もいる。

どちらの気持ちもわかる。

ただ、堅物の人間が「ただ年を取っただけで」老害と呼ばれることは

どう考えたってフェアではない。

若い人の中にも堅物な人間、人の話を聞かない人はいるわけで

気質的には同じだろう。

 

それならばせっせとSNSに著名人を貶める言葉を投稿している人は

どうして害として扱われないのだろう。

書き込みをしている人に対して

「お前らのやってること、老害と同じじゃん」

といえば、彼らはきっと怒りに震えるだろう。
でも、これってつまり同族嫌悪なのではないだろうか?

だとしたら言ってはいけないのだ。

人に向かって「老害」だなんて。

 

 

人に言われて嫌なことを言ったらダメだなんて

誰もが耳にタコができるくらい聞いてるだろうに。

 

正義心を振りかざしたくなったら?

正義心を振りかざしたくなる瞬間は、誰にでもある。

どんなに清い心を持っていたとしても完全に消し去ることはできない。

それが人間の弱い部分であり、人間たる部分だ。

 

ただそうなったときに、一呼吸おくということが大切なんだと思う。

 

視野が狭量になっていないだろうか。

ほかの人の目線から見たらどうなっているだろうか。

この怒りは何のためか。誰のためか。

 

一呼吸置くことで、大体の怒りは収まると聞く。

 

結局のところ、我関せずなスタンスが一番メンタルに良かったりするし
自分の私権が届かない範囲にある事案に関しては

考えたって自体が好転するわけじゃない。

そう考えたら、自分の目の前を流れていく情報の大半は

どうだっていいことであり、自分に関与しないことだらけだ。

積極的に、何にでも食って掛かって噛みついていく生き方は

肩の力が入り過ぎていて、ちっとも面白そうに見えない。

 

だから私たちは、この不寛容でギスギスした社会でこそ

ゆらりゆらりと流れに身を任せる技術を身に着ける必要があるのだ。

 

そしたらまた。

 

 

増刷になったそうです。Amazonでは品切れになったり

メルカリでは元値より高くなっているようです。

 

 

 

橘玲さんの著書の読書感想をまとめました。

「上級国民/下級国民」

doppy-yan.hatenablog.com

「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」

doppy-yan.hatenablog.com