さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

ど田舎出身の私が見た、地方の最大の問題点は、深刻すぎる先生ガチャと学力格差だ!

地方移住をしようと田舎に住み始める人が増えています。

Iターンのように必ずしも出身地に戻る場合だけではなく

都会出身者が田舎に移住するパターンも少なくありません。

 

 

私の育ったまちは、生まれる前に鉄道が廃線になった地方の町で

若者の洋服や映画館やボーリング場のような娯楽をのためには

片道100kmを移動せねばならない場所に位置しています。

 

 

確かに、田舎で生活することはメリットも多いです。

また、近年はアマゾンや楽天などのネットショッピングサイトの発展により

あらゆる買い物のハードルが下がったことは、田舎の利便性を上げました。

 

 

よって、田舎をとりまく大きな問題点は次のことが目立つようになりました。

それは学力の格差です。

都会と地方において学生の学力差は顕著です。

 

学力差というのは適切ではないかもしれません。

各々の学力に相応する受け皿が用意されていない

というのが真の問題点です。

 

 

この問題点は日本の少子高齢化に伴っていて

地方の過疎化が進むにつれ、より顕著になっていくことは間違いありません。

適切な教育を受けられる子どもとそうでない子どもの

教育格差が生まれることは現状のままでは避けられません。

 

 

私はいま転勤のある職場に勤めていて

小学生の子どもがいる親世代とよく一緒に仕事をしていますが

彼らはみな都会に生活拠点を構えています。

その一つの要因として、子どもの教育を唱えています。

地方出身者の親ほど、地方に住むことによる教育の格差をよく理解していて

大都市を選ぼうとする気持ちが人が多いです。

 

 

わたしの学生時代を振り返ります。

義務教育の担任、中学高校の担当教諭には新人教員が数多くいました。

新人教員が悪いわけではありません。

彼らは人一倍熱意を持って関わってくれたというのも事実です。

そういう意味では非常に教わったこともたくさんありました。

 

ですが、教員の業務は生徒に勉強を教えることにあるわけではありません。

それは、あくまでも複数ある仕事のうちの一つです。

 

つまり、新卒教員自身にとって学ぶべきことが

大量にあるインプット過多の中で

どれほどの教員が上手に教えるという

アウトプットに力を注ぐことができるのでしょうか?

 

おそらく教えることだけに特化していたら

教育者として大成する大事なタイミングを棒に振ってしまうでしょう。

そして、新人なので誰も責めることはできません。

無い袖は振れないのですから。

 

つまり、そのような新卒教員に教えられることは

学習の到達度という観点においてはベテラン教員に比べて

歴然とした差が出てくるというのは無理のない話だと思います。

つまりここで先生ガチャという側面が出てくるのです。

 

 

この先生ガチャは避けられないものならば

私はせめて初等教育においては全国統一のレベルを提供することが重要だと思います。

学習の場合、基礎の内容がしっかりと身についていれば

あとから巻き返すことは努力次第でなんとでもなるからです。

 

 

実例をあげます。

私の中学生時代の英語の授業です。

同じ先生が2年間教えてくれたのですが

その授業では英単語でビンゴ大会をしていました。

教科書のページに出てくる英単語を4×4のマスに埋めて

一列ができたらビンゴというルールです。

ちなみにビンゴしても何も起こることはありません。

そして、一回の授業でやる英語らしいことはこれだけです。

非常に不毛です。今考えても身の毛がよだちます。

 

当然、同級生は全員英語の基礎があるわけもなく

大学受験のときに大半の同級生は英語ができずに大変な目に遭っていました。

そのせいか、他校の学生よりも英語が不可欠となる

国公立大学への進学率はグッと少なかったのを覚えています。

 

田舎の教育レベルの低さは深刻なのです。

 

この初等教育の要素が、先生ガチャによって

大きく左右されるという現状は明らかに平等性を欠いていると思います。

そして、先生ガチャも都会ほど優れた人材が集まる

一極集中の煽りを受けることが想像できます。

つまり、さらに都会と地方の格差が開いていってしまうのです。

 

 

私が思う教員のあり方は、教える側ではなくてもいいから

勉強につまづいたときに支える、生徒に細かく説明してくれる存在です。

つまり、セーフティネットとしての存在です。

このようにして授業で生徒に関わっていくほうが非常に効率的であるし

こぼれてしまいそうな生徒を多く掬い上げることができます。

そして、何よりも教員間格差をはじめとした教育の格差が生まれにくいと思います。

 

 

 

教育は子どもの彼らが今いる環境から自力で自分の未来を切り開くための武器です。

それならば、不十分な教育は彼らの未来を駆けていく翼を奪う行為でしょう。

これは改める必要があると私は考えます。

 

また、このような非常に重い責務をイチ教員に

背負わせること自体がすでに彼らの仕事の域を超えているように感じます。

勉強としての教育と人間としての教育という2つのことは

大きく切り分ける必要があります。

教員の重すぎるプレッシャーを開放させることは

教育の地方格差を解消させ、地方が都会から巻き上げられている

現状の一極集中的な構造に一つの流れを生み出すのではないかと思います。

 

だからこそ教育の地方格差は解消しなければなりません。

 

 

 

そしたらまた。

 

◎田舎で子育てをする場合の問題点について体験をもとに解説しました。

doppy-yan.hatenablog.com

 

◎義務教育を過ぎて、親元を離れる田舎の学生たちについて。

「かわいい子には都会に出させよ」という旨で解説しています。

doppy-yan.hatenablog.com