あなたのその貯蓄、本当に必要?働くことは生きること。一次産業従事者だった祖母の後ろ姿を見て。
みなさんは金融投資をしていますか?
つみたてNISAやiDeCoなどの制度を利用して
金融投資をはじめる若者世代がジワジワと増えてきていますね。
私も投資をしています。社会人になった年からつみたてNISAを始め
既に5年が経ちました。
私は金融投資をすべきだと思いますが
それでも投資の目指すべき地点を考えたうえで始める必要があると考えています。
なぜならスタンスがぶれてしまうことは投資において迷いを生むからです。
あらかじめしっかりとした足場がなければ、人間というのは非常に不確かなものです。
あっという間に自分のスタンスや考え方など、流されてしまいます。
赤子の手をひねるほどの難易度で
私たちは投資で動くお金に目が眩み、判断を誤ってしまい
立ち位置がわからなくなる
ということを忘れてはいけないのです。
金融投資をする意味はなんでしょうか?
住宅資金や老後の資金、はたまた目立った意味はないものの
漠然とした未来への不安感からはじめた人も少なくないと思います。
現にわたしは将来への不安感をきっかけに、つみたてNISAをはじめました。
ですが明確な目的をなしに投資をするのは良くありません。
漠然とした不安からくる倹約、投資が良くない理由は
それを解決するには天井がないからです。
いくら収入が増えて貯蓄をしたとしても金銭的な不安が掻き消えることはありません。いっそお金への執着心が強まるような気さえします。
恐ろしいことです。
ここで老後資金について考えてみます。
2000万円の貯蓄が必要だと言った政治家がいましたが
本当に老後を2000万円だけで暮らしていけるのでしょうか?
私は無理だと思います。これができるのは、元気に暮らすことができ、そこそこの年齢でぽっくり死んだ場合に限るのではないでしょうか。
そもそも私たちが高齢者になる頃は何歳まで生きるかわかりません。
現在、老人ホームに入るには入居に1000万円、月額25万円と言われています。
2000万円では40ヶ月しかいられません。
3年程度で使い果たしてしまうのです。
そして、今後加速する人口減少社会では
現在と比べて人件費が高騰することは間違いないでしょう。
よって一体どれほどの老後貯蓄が必要なのか?と考えるとそれは未知の領域です。
介護ロボットが目覚ましい発展と大量生産を成功させ
劇的に介護業界が発展するかもしれないし
先の私の想像の通りになる可能性もあります。
20代の私たちは、逃げ切って生きようという選択が
もはや時代に即していないのです。
穏やかな余生という暮らしは
人生百年時代において天然記念物級に存在しえません。
☆☆☆
私の母方の家は酪農業をしていました。
祖父の亡き後、祖母は早朝から晩まで、牛の世話をしていました。
幼稚園のころ、よく祖母のところに遊びに行っては
牛の世話のお手伝い(という名のお菓子もらい?)をしていました。
牛って目が怖いんですよ。近くで見ると黒目が大きくて、ギョッとします。
目が合うと怖くなって、牛舎から帰りたくて祖母にしがみついていた記憶があります(笑)
結局、祖母の家は離農しましたが、祖母は80歳になるまで
酪農の仕事をしていました。その後は家庭菜園や編み物をして生活していました。
昨年、祖母は98歳で大往生しましたが
生涯現役で働き続けていたためかとても元気で認知症のケもなく
最後まで孫の顔を忘れていませんでした。
寝たきりになっていたのも一年ほどであり、祖母の凄さを実感しています。
私が祖母の後ろ姿から学んだことは、生涯働きつづけること。
身の回りのことをすべて自分でこなし続けることです。
社会的な生き物である人間にとって、働き続けることは大きな意味があるのでしょう。
理想的な生き方(死に方)は、祖母のように生涯現役で生き続けて、ポックリと逝く。
いわばピンピンコロリです。
このような暮らしができるなら
老後のまとまった資金に固執する意味なんてない。
お金の概念にも縛られることなく、自由に暮らせると思います。
資産を自分の体験や経験に使わないで
金融資産として持っていくことは私は悲しい。
いつかのための貯金、若いうちから老後のための資金を確保するなんて
もはや斜陽な人生を生きているようで悲しい気持ちになります。
人生に未来があると思えれば、極端な貯蓄に固執することもない。
だから引退など設けず、働き続けるほうが
満足のある人生かつ、大往生できるのではないか?
と祖母の姿を思い出して考えるのです。
そしたらまた。
☆節約するより働いたほうがよくない?