さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

【悲劇?】投稿直前にブログのテキストがクラッシュした話。アウトプットと思考の定着を体感した瞬間。

ブログを書いている人にとって

書いている文章がクラッシュしたときほどショックを受ける瞬間はない。

この文章の書きまわし、すごくよかったなと

自画自賛するような瞬間は

書き続けていれば通る道。

誰しも経験があるのではないだろうか。

今日の投稿。

料理とミニマリズムの話について書いたけれど

二回ミスをした。

一つ目は頭の中で書き出した断片をそのまま滑った指で

投稿してしまったこと。

箇条書きの断片がドドドドドとネットの海に放流される瞬間。

パソコンの前でアワワワワと焦る私。

 


急いで下書き状態に戻したけれど

誰かの目に留まってしまったようで恥ずかしい限り。

ちゃんと断片を文章化したものも見てくれていたら…

と思うが救われるのは私。

 


イッツエゴイスティック。

 


なんで指はこう、思いもよらない瞬間に滑るんでしょうか。

不随意が本心から現れたものだとするなら

深層心理というのは恐ろしいです。

滑ろうとして滑ったことなんて、ウィンタースポーツくらいしかないのに!

 


では二つ目。

これは下書き保存をかけた投稿がなぜか保存されておらず

いつものようにルンルン気分で公開ボタンを押したところ

なぜか投稿されておらず、下書きもされていなかったこと。

またしてもパソコンの前で大声を出す私。

あーーーーー

諦めと諦めきれない境地のはざま。

先に進みたいけれど、消えていることが怖い気持ち。

2分前の復元ボタン。

息をのみ、クリック。

どうにもこうにもデータは残っていなかった。

 


なーーーーーー

またしても悶絶。だがしかし書くしかない。

これで書くことをやめていては、きっとずっと書かなくなる。

と謎の危機意識を発揮し、気持ちを奮い立たせる。

 


憤慨するも誰に対する憤慨なのか。

投稿ボタンを押したときのちょっとした違和感に気づければ

確かにバックアップはできたのに…

後悔の念は自責の念にかわり

 


無慈悲にも書いた文章は消えただそこに残ったのは

やっちまったなぁという虚無感と空腹感。

いずれにせよ空間が生まれたという点では皮肉にも共通している。

うだうだしながらタイピングを再開。

 


文章を思い出しながら、書こうとしたが

決定的に違っていたのは、これはブログだということ。

授業で出された課題にお茶をこぼして一からやり直すような

根底に潜むイヤイヤ感はない。

 

イヤイヤ感がないからだろうか。

文章の断片をみていると、自然と指は動く。

そして、最初に書いた時よりも研ぎ澄まされているような感覚がある。

頭の中で要約できてから文章に落とし込む作業が大きいのだろう。

 


文章を書くという行為が究極のアウトプットであるというのは

いろいろな本でも言われていることで

ホントかよと思いながら始めたブログだったが

ここ最近は書いていることで、なんとなく記憶の定着を感じる瞬間が多かった。

 


その中でも今日の書いた文章

投稿直前クラッシュという鮮烈なショッキングな体験。

ややキツめのフラッシュバックとして今後も忘れることはないだろうけれど

一度書いたという行為があるからこそ

アウトプットという作業が思考を定着させるというのは事実みたいだ。

 


自分で頭をひねりながら一文一文ずつ繰り出すこと。

駄文であるかもしれないが、信じて文章を紡ぎだすこと。

このことの効果の絶大さは自分が見えているよりも大きいかもしれない。

 


クラッシュした瞬間は今この瞬間、最高の悲劇だと感じていたが

たった1時間も経たないうちに喜劇と化している。

 


人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。

とはチャップリンの言葉だ。

うん、確かに悲劇は喜劇になるね。チャップリンさん。

 

 

同じこと(データクラッシュ)をもう一度繰り返したいだなんてやっぱり思えないけれど

それでも無理にでも肯定的に捉えることの効果は大きい。

これは一つの学びだったと言えれば何もかも肥やしになる。

コンポストに入れれば、なんだって肥やしになるしね。

すべての有機物も無機物も肥やしになると感じた瞬間といえば

大仰すぎるだろうか。

 

あと、想像以上にショックをうけた手前

自分もまだまだだなって感じた瞬間でもあった。

もうちょっと穏やかで波がないと思ってたけれど。

伸びしろがあるってことにしておこう。(強引)

 


取り乱した瞬間にこそ、人間の本質は出る。

ただ、書くという行為に前進できたことは

少しながら成長できた証として認めたい。

 


というか、こんな経験まで文章にして落とし込める手前

ブログはやはり最強かもしれない。

たまにはこうやってとめどない気持ちをブログにして

ネットの海に放流するのもいい。

放流した稚魚の一匹でも、鮭となって母なる海に戻ってくればいいくらいの

スタンスでもいいのかもしれない。

自分の放流した稚魚が誰かの目に留まって回遊したのちに

自分のところに返ってきて学びが得られるのならそれは幸せかもしれない。

 


いいだけ文章を書きまくったらおなかがすいた。

今日は韓国料理を売っているお店で買ったチャプチェと

カマンベールチーズと卵を入れて味噌汁を作ろう。

料理はもっと楽しく。一汁一菜で。

 

もう、自分で作った文章でもう救われ始めている。

放流した稚魚が成魚となって帰ってくるには早すぎやしないだろうか。

 

 

 

そしたらまた。

 

 

☆投稿直前にクラッシュしたブログがこちら。

生みの苦しみを始めて感じた瞬間。

doppy-yan.hatenablog.com