さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

【読書感想】土井善晴さん「一汁一菜でよいという提案」めんどくさい自炊をミニマリズムしよう。自炊のミニマリズムは愛情のマキシマリズム。

 

毎日私たちは諸々の家事に追われています。

平日、しんどいのは料理です。
仕事が思いがけず、遅くなった日に
それからご飯を炊いて料理を作ると思うと
気が遠くなるようです。

お弁当を持参しているなら尚更つらく
匙を投げたくなることでしょう。

 

終わりが見えないかつ、多忙すぎる家事ゆえに

生活の快適さを求めるための作業が

結果的に本人の幸福度を下げてしまうのは非常に皮肉なものです。

 

多忙になった私の近況。定期的に家事を見直すこと

はじめに私の近況をお話しします。

病院で働いているのですが、秋になってきて

コロナがさほど脅威とならなくなったことで

次第に病院に患者が戻り始めてきました。

そのため、患者数が増え外来も入院患者も過去最高ペースになっています。

よって、毎日超過勤務の激務月間に突入しました(泣)

そのため、自分の世話をしているだけでも

気づくと毎日夜10時です…

 

ほかの病院でも同じ状況かとおもいます。

ブログ界隈の医療関係者の方、お元気ですか…?

最近、読者登録している方のうち

医療関係者の方の投稿が少なめでやや心配です。

 

年内は忙しそうな気がしますが、頑張って乗り切りましょうね。

ちなみに今後の病院の見通しで語った通りの展開になりそうな予感です。

興味があればどうぞ。

doppy-yan.hatenablog.com

 


生活において削れる要素は
いくらでもあるのでしょうが
私の場合は、ブログと読書の時間は

何があっても削りたくないという信念を持っています。


削れる部分があっても「やりたい」という意志がある限りは

極端な時間配分をしてでも確保すべきですから。

 

生きる意味を見いだせるかどうかで
挫折せず物事をやり遂げることができるか
どうかは変わってくるのだそうです。

 

だとすれば絶対にやり遂げたいことを確保することは
逆説的に生きる意味となります。
どんなに大変でも乗り切る材料になり、自身を燃やすまばゆい光です。
だから手放すべきではないのです。

そんなわけで削るべきは家事となります。
毎日の家事において大きな割合はやはり食事にまつわることです。

 

一汁三菜がよいという呪縛。固定概念を崩せば、もっと家事は楽しくなる

そもそも自炊の意味とは何か?
ある人にとっては
好きなものを好きなだけ食べるためであり
またある人は節約のためであり
健康のために栄養バランスを取る目的でしょう。


それでは、理想的な食事というと
どんなものを思い浮かべますか?
旅館の晩ごはんのような品目が多く、手の混んだ料理が
小鉢にたくさん並んでいる美しい見た目の料理ではないでしょうか。

 

私たちの潜在的な部分に家庭料理は品目が必要で
一汁三菜という固定概念が馴染んでいます。

これは私たちの母親世代が頑張って料理をしてくれた証でしょう。

50代以上である私たちの母親は

フルタイムで働いている人はほとんどいませんでした。

大半は、結婚して退職したり

正職員からパートタイムにシフトしています。

 

なので今の私たちとは根本から違う。

彼女たちが大変だったことに変わりはありませんが

かといって今が便利になり過ぎているということもないのです。

からしっかりとした料理が一汁三菜であるという

固定概念から覆す必要があります。

 

私も含め、一人暮らしの人はみな
仕事と家事のダブルワーカーです。
毎日クタクタになって帰ってきてから
一汁三菜を作る余裕なんてどこにもなく、
もはやこの考えがそぐわないことは明白です。

 

 

土井善晴さん「一汁一菜でよいという提案」から学んだこと。

一汁一菜という言葉を聞いたことはありますか?
これは土井善晴さんが提唱している
料理への向き合い方です。

 

多忙な現代人である私たちにとって非常になじむ考え方です。

興味があればぜひ。

リンクを貼っておきます。

 

 

 

「一汁一菜」というのは

具だくさんの味噌汁とご飯を意味します。
汁物にしちゃえば栄養素も無駄にならないですし

毎日がんばらないでも続けることができるところにこの考え方の良さはあります。

 

そして非常にメリットとして大きいのが

大体のものを入れても美味しく出来上がるところです。

 

ソーセージと白菜を入れたらポトフ風味噌汁ですし

チーズを入れても合います。
じゃがいもを入れれば、ほっくりと落ち着く。

余ったたらこを少し入れれば贅沢気分だし
油揚げと大根、豚肉を入れれば豚汁になります。

 

いたずらごころで自炊ができるのは一汁一菜だからできる心の余裕を生み出します。

遊び心をまぜて料理することの楽しさを再確認することができるのは

一汁一菜という提案を受け入れてこその学びなのです。

 

私たちは料理を愛情と混同しすぎています。

それは私たちの母親たちが一汁三菜をしっかりと作っていてくれた

やさしさのたまものではあるのですが

今の私たちのフルタイムで働いている時代には即さないのです。

だからこそ、料理はもっと簡単に。

料理というモノの目的をもっと削いで考えてみると

それは必要な栄養素を確保することです。

 

必要な料理を、必要な栄養素をちゃんと摂取できるように作り上げること。

この基準さえ揺らいでいないのなら

一汁一菜だろうと一汁三菜だろうと変わりがありません。

 

そして、料理の手間暇と愛情というものが

必ずしも一致しないということを思い出すべきです。

しっかりと2時間もかけてつくった手料理をたったの10分で

美味しいの一言もなかったときの腹立たしさといったらありませんよね(笑)

 

だったら料理で愛情を表現する必要はないですよね。

それよりも、料理じゃないところで

直接的に愛を表現したほうがいいじゃないですか。

そのほうがちゃんと報われますし…

愛に報われることは必要なのかという議論は差し置きますが。

子どもに文句を言われたとしても

 

「お父さんだって、お母さんだって人間なんだよ。

つらい時はつらいの。だから今日はお味噌汁定食でお願い!」

なんて素直に言えれば、子どもにとって相手を思いやる想像力

当事者意識がついて必ずしも悪いとは思えないんですよね。

どうなんでしょうか。有識者の方がいたら意見を伺いたいところです!

 

 

だから自炊は極力ミニマリストにする。

そして浮いた時間を使って愛を伝える。

これこそが私たち現代人にとっての

料理と生活スタイルとして理想ではないでしょうか。

自炊のミニマリズムは愛情のマキシマリズムなのです。

 

そしたらまた。

 

 

 

◎最近、好きという気持ちを伝えていますか?たとえばこんなふうに。

doppy-yan.hatenablog.com

 

 

 

◎呪縛シリーズ②。女子力という概念について。

 

doppy-yan.hatenablog.com

 

◎自炊のミニマリズムを語るうえで

小林カツ代さんをなしに議論をすることはできません。

お弁当ってそもそも何のためか?という概念と時短レシピが解説されています。

doppy-yan.hatenablog.com

 

 

◎最後に愛情表現をしたのはいつか覚えていますか?

シラフであることかつセックス時のスキンシップを除いて。

doppy-yan.hatenablog.com