さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

野心をもって資本主義を生きること。推し活と娯楽がルーチン化した日常を救う。


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あなたはどういうときに資本主義を感じるだろうか?

 

 

挙げればキリがない。

そして日常の端々で資本主義の匂いは感じる。

 

資本主義の反対にあるのは

社会主義共産主義だ。

これらの社会は

確かに平等なのかもしれない。

 

私は資本主義を生き抜いていきたい。

仮に不平等が大きな問題となっていても。

それは

資本主義というギラギラの塊が

人をハツラツかつ、エネルギッシュに

させてくれるからだ。

 

 

生活に余裕や豊かさがなければ

できないことはなんだろう?

 

それは娯楽だ。

娯楽があるということは

文化であり、その人の色である。

 

 

人によって娯楽というのはさまざまだ。

温泉やカフェ巡ること。

旅行をしたり、海に潜ること。

気持ちの良いコースでゴルフをすること。

 

どれも等しく娯楽だ。

娯楽にも趣味にも優劣はない

そしてもたらす効果も同じだ。

 

 

娯楽があるから救われることがある。

生活において必要な要素は衣食住である。

それを最優先すべきだが

それだけではどうにも

苦しくなってしまうことがある。

 

これはほんの些細なことだ。

 

  • いつも裏返しに脱ぎ散らかす亭主の肌着
  • 彼氏・彼女のいつ帰ってくるのライン
  • 義母の電話口での愚痴

 

 

いつもは乗り越えられる段差なのに

特段珍しいわけでもないのに

超えられない瞬間がある。

 

 

ほんのちょっとした段差でも

車椅子だと超えられないことがある。

バリアフリーがこれだけ騒がれた現代でさえ

健常者には気付けない障壁があるのだ。

 

 

疲れているときに

あなたの心は満タンではない。

日常の出来事でやさぐれたり

うらぶれた気持ちになってしまう。

 

 

栄養を与える方法はただ2つ。

一つはよく眠ること。

もう一つは娯楽に走ることだ。

 

ハード面での消耗には寝ることが大切で

ソフト面では心の栄養を取ることだ。

 

近年はやっている

推し活というものは典型的に心の栄養で

好きなものを好きだと言えることは

豊かさである。

 

好きな人がいないような現代人を見るに

自分の好きに気づけることは

もはや、尊いまである。

 

 

心を回復するには

眠ることも好きを推すことが大事だ。

ともに必要なのはお金だ。

 

先立つものがない

という言葉がお金の不足を意味するように

何をするにもお金がかかる社会ではあるが

ある意味で

何をするにもお金があれば解決できる社会だ。

 

ものは捉えようである。

 

 

だからこそ

気持ちを健康に

豊かに暮らしていくには

お金が必要である。

 

 

 

資本主義の素晴らしさは

オーダーメイドなところにある。

 

何もかも手に入れたい、経験したい人は

頑張り次第であらかた獲得できるし

分相応に暮らしていきたいのなら

そのような生き方も決して難しいわけではない。

 

また積もり積もった日常に

風穴を開けたくなったら

娯楽と推し活をすればいい。

 

ハツラツさとエネルギッシュを

湛えた一生を生きたいのなら

どこまで資本主義社会を泳いでいくべきだ。

 

 

やがて、外洋まで出たときに

どうなるかはいまだ分からない。

離岸流に巻き込まれて

遠くまで流されるかもしれない。

 

 

でもそれでもいいではないか。

好んで泳いだ海、流されたって

命までは取られまい。

 

ずっと同じところに留まって

指を咥えているよりずっと生きている。

 

 

同じところに留まる日常しかない生活より

時に流され、時に動く生活を

すべきではないだろうか?

 

 

だから私は資本主義を生きたい。

内なるギラギラもやめない。

 

 

そしたらまた。