20代男性の白髪の向き合い方、苦労人というレッテルと自然体の葛藤
突然ですが、20代後半の私には数え切れないほど白髪があります。
鼻毛の白髪は大学時代からあり、
先日はこめかみにも白髪を発見して少し驚きました。
私の白髪は右目の上あたりに固まって群生してます。
前髪をかきあげたときの様相は、もはや関口宏です。キレイに真っ白。
昔から白髪がありました。
はじめて白髪を見つけたのは高校一年生の頃だったでしょうか。
数本の白髪を見つけてはハサミで短く切っていました。
前髪は目に付きやすく、指摘されるのが嫌で
夜な夜な鏡とにらめっこして切っていました。
大学へと入学する頃には量も増え
ハサミで切るには本数が多くなりすぎたため、部分的に染めるようになりました。
2ヶ月に1回くらいのペースで塗っていました。
染めで地肌は赤く痒くなり炎症を起こすため
染めるのは好きではありませんが塗っていました。
社会人になって以降は、一部分に限らず
側頭部や後ろ側にも白髪が出てくるようになり、キリがなくなりました。
ここまでくると隠すことに限界を感じ、次第にどうでもよくなりました(笑)
それを機に白髪があることがなぜ嫌だったのか考えてみました。
白髪がある事自体はさほど嫌ではなかったです。
長年の慣れか諦念か。
祖父母は完璧なグレイヘアー、母も若い頃から白髪が多かったということから
遺伝の要素が大きいんだなと妙に納得しました。
考えていくうちに気づいたのは
私が嫌なのは白髪=苦労人というレッテルだったのです。
白髪により苦労している人なんだと思われることが嫌だったのです。
大学生のとき、白髪を見つけた美容師さんに
「ストレス抱えてるんじゃない?」
と言われて内心「なんと無神経な」と思うほど、すごく嫌だったのを覚えています。
白髪が自分にレッテルを貼り付けたことが不満だったのです。
たかだか白髪一つで苦労しているだなんて、簡単に理解されたくありません。
ですが、白髪の存在自体はあまり否定的なことじゃないと私は思います。
どんなに気にしたって、また増えるんだから気になるだけ仕方ないのです。
白髪は割り切ってそのままでいるか、受け入れつつも染めるかしかないのです。
ただ白髪をそのままにしたとして悩ましいのは
自分というよりは奥さんや生まれた子どもといった他者の視点でしょう。
ですが、本人が白髪を受け入れたとしても
活力にみなぎりアグレッシブであれば、さほど問題にならないと思います。
そして、白髪が本人の自信や生き方のようなものをより強く後押しし
本人の貫禄や強い個性を示すトレードマークになるのは間違いありません。
不自然に黒すぎる染めをするくらいならば
自然体であるグレイヘアーのほうが美しいと私は思います。
もっとグレイヘアーにネガティブが印象をもたず
美しくと思える文化が形成されてほしい。
自然体であることが尊重されたら、もっとみんな自信をもって生きていけるでしょう。
私は当面前髪の部分染めを続けるつもりです。
ですが、いずれグレイヘアーをポジティブに捉えられるように
自分磨きを重ねたいです。
そしたらまた。