「長い物には巻かれろ」的発言を歯がゆく感じる理由
あなたはトップのした判断に対して不満があったとき、どう思いますか?
素直に不満を訴える人、我慢して耐える人、はなから諦めている人など様々です。
安倍元首相を国葬するという話になったときに、果たして国葬は妥当なのか?という議論になりました。
どちらの意見もあっていいと思いますが、議論の中でモヤモヤしたことがありました。
とある男性の発言に対してです。
その男性は「この判断はトップが決めたことなんだからそれに委ねるより他ない」というのです。
私はこの発言が好きではありません。
どうして好きではないのか考えてみました。
そもそも、この発言は意見ではないのです。パッと見では、自分の意見を主張しているように見えます。でも、彼は自分の意見の是非を言ったのではなく、社会はそういうものだという一種の諦めに似た言葉を返してきたのです。
議論においてぐうの音も出ないようなもっともらしい発言をする人がいます。
果たしてそのような正論は議論に必要なのでしょうか?
私は議論の場で極力正論を言わないように心がけています。
というのも正論は言ったが最後、それに返す言葉がありません。そうなればそこからは何も生まれなくなってしまう。どう見ても正しそうな発言は場において思考を停止させるのです。
また、正論は場を白けさせてしまうため、振りかざされた側は複雑な気持ちになります。そういった発言こそがつまらなくさせるということを忘れてはなりません。
想定しなかったような奇抜な解決策は、一種の武器のようなもっともらしい正論によって容易に掻き消されてしまいます。
長い物には巻かれろ的な発言に対して私がモヤモヤしたのは、自己の無力さをこのもっともらしい言葉を通してふたたび思い知らされたからでしょう。
だから私は正論を極力言わないようにしたいです。
そしたらまた。