さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

人を頼れる力こそがバイタリティ。怒りと愛情の関係性。コンプラとハラスメントに怯むような人生は嫌だ。

学生時代の私は、自分で言いますが
真面目ちゃんでした。

恩師と言える教師がいません。
友人の中には恩師というような存在がいて
卒業後何年か経ってからも
会ったりしている人もいます。

今更になって私は彼らのことを
羨ましいと思うようになりました。
思い返せば、意味もなく真面目だったために
正面切って先生に怒られた機会がありません。


私は面と向かって怒られると
しっかり凹みます。めっちゃ凹みます。
ですがその反面、嬉しい気持ちにもなります。

なぜなら面と向かって
説教された経験がほとんどなかったから。
わざわざ自分のために
疲労感をもたらす怒りという感情を
示してまで指摘してくれるところに素直に
ありがたいと感じるからです。

 

 


可愛がられる後輩。可愛げのない後輩。人を頼る技術を学べ。


手のかからない学生、後輩というのは
ありがたくはありつつも
年長者である自分が頼りにされていないという事実に対して寂しさがあるはずです。


新入生が入ってきて、年下が先輩先輩と
頼ってきて嫌な思いをする人はいませんよね。
先輩に可愛がられる後輩に共通するのは
頼み上手なところです。
相手を信じて頼るというのは
心が近づく第一歩なのです。


子どもが独立して親に頼らなくなったら
急にボケてしまった
というのは古今東西で聞く話です。
頼るということは独りよがりなものではなく
お互いに互恵関係を与えあっている
ということなんですね。


では、教師と生徒の関係性を考えてみます。
手のかからない学生と困った学生の違いは何か?
それは愛です。
困らせたり、手が焼けることは
受け手側の存在意義に変換されます。
自分がちゃんと教えなければ
大切なことを伝えなければ
という思考に切り替わります。

無関心が関心に変われば
そこには愛が生まれます。


教員ではない私でさえこう思うなら
その道のプロは言うまでもありません。


うってかわって手のかからない学生は
教師からすれば楽でしょう。
ですが、自分じゃなくてもいい
他の人でも変わらないという印象を与えます。
つまり他者に存在意義を与えないのです。

教師もひとりの人間です。
内心どうしても、お気に入りの
生徒がいるのは仕方のないことです。

ただお気に入りにも2つあります。
手のかからないお気に入りと
手の焼けるお気に入りです。


愛情の対局が無関心であれば
前者はいわゆる無関心に該当するものであり
後者こそが愛情に溢れる可愛らしい学生でしょう。


たかが学生で自分一人で生きてきたような
顔をしてツンケンしている学生も
可愛いでしょうが、好んで積極的に
かかわってくれる教師はレアです。


つまり学生時代に必要なのは
相手を信頼して頼り切ることです。
困ったときに頼れる能力は生きる術です。
頼る能力は若くしてこそ磨けるのです。


説教のありがたみ。若いうちにちゃんと叱られろ。新人放射線技師のときの記憶。


怒られない学生生活を過ごした私は
そのまま進学し、大学病院に
勤めることになりました。

私が働いていて純粋に嬉しく思ったのは
しっかりと怒ってくれる上司がいたことです。
もちろん、道理に合わないことや
論理に一貫性がないような
理不尽な説教ではありません。

もっとも仕事をしっかりとするための
教育ではあるのですが
怒られ経験のない私には愛だと
錯覚してしまうほど嬉しかったんですよね…

真面目ちゃん、手のかからない子レッテルを
一切貼らずに、「悪いことは悪い」と
面と向かって怒ってくれたことが
本当に嬉しかったのです。


怒られるということは何事においても
早い段階で経験した方がいいのです。
私は少なくとも働きはじめのころに
このような厳しい上司がいたおかげで
多少のことでは揺るがなくなりました。

そして、技術屋的要素のある
放射線技師という仕事に対しても
根底のマインドセットが鍛えられたのです。

私は転職と転勤を経験して
今の職場に勤めていますが
何年も経ったいまでも、一年目に学んだ
マインドセットや見聞きしたもの
体験したもののおかげで
自分の仕事に自信が持てるようになりました。

 

自分の人生というものを考える上で
私がいつもイメージするのは植物です。
イメージのためにミニトマトをイメージしましょう。
トマトは直根性の植物です。
根はまっすぐに伸びていき
地下の根っこがしっかりと張り巡らされて
はじめて立派な幹が出来上がります。
根から豊富な養分を吸い上げ、水を得て
すくすく育ちます。
鉢植えでもミニトマトは育ちますが
地植えには適いません。
鉢という井の中ではミニトマトの成長にも
限りがあるのです。

苗をポットから土に植えたとき
しばらくのあいだ、苗は成長の姿を見せません。
彼らはその間地中に
根を張り巡らせているのです。
そして、その根がどれほど
張り巡らせられるかは環境が物を言います。
つまり、成長の初段階において
吸収できる栄養の豊かさが重要なのです。

人間もはじめの段階において
様々な栄養が必要ですよね。
そして、これは精神面にも言えることです。
その過程においてやはり
怒られるということは大切です。

自分のもてるエネルギーを割いてまでして得た
怒りを家族でもない他者に費やしてくれる
という行為には計り知れないほどの
肥やしがあります。

そもそもどう考えても
説教というものは割に合いません。
ちゃんと学んでくれるというインセンティブも自分には跳ね返ってくるとも限らず
それでもなお相手を信じて伝える行為です。
下手をすれば自分が
酷い目に遭うことだってあります。

本来的に採算が取れない行為ともいえます。

だからこそ、怒られることは尊いのです。
怒ってくれる存在こそがありがたい。
社会人になって中堅クラスになったいま
ひしひしと怒られたことのありがたさを
日増しに噛み締めています。

そして私もちゃんと
人に怒れる存在になりたい。
コンプラだ、ハラスメントだ
そんなのはどうでもいい。

愛にもとづいた説教
というのはお守りなのです。
その場では分からなくとも
然るべきタイミングで
受け手にもしかと伝わるはずなのです。

 

   
そしたらまた。

 

 

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