さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

誕生日を祝って!と友だちに言えなくて。承認欲求の存在を認めよう。悩むくらいなら、素直にさらそう。

あなたは自分のもっている承認欲求とどう向き合っていますか?

気づかないふりをするタイプでしょうか。

アピールをしっかりするタイプでしょうか。

もしくは、自分の承認欲求に蓋をしてごまかしているでしょうか。

 

私は気づかないふりをずっとしてきていました。

ですが、最近私は承認欲求は認めるべきだと考えるようになりました。

そして大人だからこそ、敢えてあけっぴろげに晒しちゃったほうが

ずっと生きやすいし、魅力的でいられるのです。

 

マズローの人間の欲求における順番仮説が変化してきている

 

人間の欲求はマズローの分類により
生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認欲求、自己実現の欲求

と分類されると述べられています。


そして、左のものから順番に
その欲求はが満たされていくと彼は唱えました。

 

現代の日本に生きている私たちは
強固なセーフティネットにより
原則的に生理的欲求は満たすことができるようになりました。

また、長らく続く不況による男性の経済力の変化や

ジェンダー思考が薄まったことで女性の生き方も変化してきました。

恋愛をしたいと思わない男女は増え、恋人もいらない。

子どもも嫌いだから欲しくないという若者は身の回りにも多くいます。

 

このようにして、生理的欲求や所属・愛の欲求が

重視されなくなった近年、引き換えに承認欲求を重要視する人たちが増えました。
これは、スマートフォンが広く普及するようになって
SNSサービスが急成長したことに端を発しています。

 

いま通勤ラッシュに巻き込まれている私も
一緒に乗り合わせている人たちも

誰もがスマートフォンに釘付けで

もはや操作していない人のほうが少数派なことさえあります。
ものの、10年も前にはスマホ
存在すらしていなかったのですが…
時代の変遷はとても早いですね。


スマホによりSNSが発達したことで
今までの友人とも距離に関係なく繋がれるし
有名人とやり取りすることも可能になりました。


誰とでも繋がれることやその能力がステータスの高さとなり

承認欲求を満たす道具に変化してきました。
現代の若者たちには、SNSが単なるコミュニケーションツールとしてではなく

承認欲求や自己肯定感をもたらすツールとなっている人も少なくありません。

 

自分の投稿がちゃんと評価されているかは気になるし

無視されていないかと不安になることも日常茶飯事です。

 

自分の誕生日を祝って!と素直に言える友達が羨ましかった学生時代

欲求というものを毛嫌いする人がいます。

例えば、友人にこんな話をしたことがあります。

 

僕はお金が好きだよ。

だって、お金は物事の購入や体験をするための引換券であり

それを使うからこそ、楽しい思い出や貴重な経験

今日があってよかったと思える日が気持ちの支えになる瞬間があるから。

だからお金が好きだ。

 

大体の友人は最初はギョッとしていても

しっかりと説明すると理解してくれて、そうだねと言ってくれるのですが

中には、それでも賤しいということを言う人がいるのです。

 

むき出しすぎる願望に怯んでいるからなのか
それとも世間体を気にしているからなのか、はたまた照れ隠しなのでしょうか。

本当に清貧な人、というのはいるのでしょうが

少なくとも同年代でその境地にたどり着いている人は

ほぼいない気がしています。

 

私もどちらかといえば、世間体を気にしていて
どちらかというと常識人ぶっていたのですが
欲求や欲望を嘘を包み隠さずに、すべてさらけ出すことで

たどり着ける場所があると考えるようになりました。

 


承認欲求であれば
誰かに認められたいという思いですよね。
1ミリの承認欲求もない人はいないでしょう。
人間が煩悩の塊であれば、誰もが一度は持つ悩みで、通る道です。

だったら煩悩に嘘をつく意味はありません。

 

嘘っぽいもっともらしいことを言っている人よりも

誰かに認められたい!俺は有名人になりたい!

と闇雲でも行動している人が人間味があってとても共感できるし

仲良くなれそうだと思うのは私だけでしょうか?

 

引っ込み思案な性格だった私は

誕生日を自分から言うことができませんでした。

でも「来月誕生日だから祝って!」

と何の気なしに言う友人がいました。

これが本当に羨ましかった…

 

どうして素直に誕生日を祝ってほしいと言えないのだろう…

と悲しい気持ちになったのを思い出します。

今考えるにもっと素直に子どもらしく

「祝ってほしい!」と言えばよかったのです。

誕生日を祝われるという行為は

ただ生きているだけで得られる承認欲求のボーナスタイムです。

 

つまり私は、承認欲求に嘘をついてきたのです。

そして「別に祝われたくないし…」とか

「祝ってほしいとか言うの悪いから…」というように

もっともらしい言葉を並べ立てて傷つかないようにしていました。

このような言動は今になってみても、自分補正をかけても

かわいくないと思います。

 

ただ「祝ってほしい」と素直に言えれば簡単にクリアできたのに

何回も同じところをぐるぐると回っては自己嫌悪に陥ったり

考え方をゆがませてしまうのです。

そして、自分で言葉に縛られて、本音を言うことができなくなってしまうのです。

 

だからこそ、私は承認欲求なんてさっさと認めてしまったほうがいいと考えています。

あれこれ悩むくらいなら、素直に自分の承認欲求をさらせばいい。

本音で語るからこそ、本音で向き合ってくれる人に出会えるのだし

見えてくる世界も引き寄せる出来事も変わってくる。

 

だからこそ承認欲求を認めて、素直でいたい。

大丈夫。そのまま進もう。

柿の種とハーゲンダッツがあればどこまでもいけるから。

 

そしたらまた。

 

 

☆オタクであることはやめなくていいです。それもまたあなたの魅力。

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☆あざとい人から学んだこと。一本筋が通っている人間はやはり強い。

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マッチングアプリはもはやSNS。承認欲求を満たすツールであるそのワケ。

 

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