さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

意識高い系と痛い人。痛い人が羨ましくなる瞬間。彼らに後ろ指を指す人になりたくない理由

あなたの周りに痛い人はいますか?
大人になるにつれ
痛い言動に触れる機会は減ってきました。
 
これは誰もが大人になったことで
社会や人間関係に揉まれ
痛いままでいることが難しく
少しずつ同化していきます。
 
 
痛い人と表現者紙一重です。
もはや受け手の問題でもあることから
ある意味では同じかもしれません。
 
 
私は痛い人にやや羨ましい感情を抱くことがあります。
また、痛い人を揶揄する人
こき下ろしたり、後ろ指を差す人が
嫌いです。
 
それは、痛い人を揶揄する人こそが
最高にダサいからです。
 
 

1.イタいとは何か?

 
そもそもイタいということは
どういうことか?
 
  • 自分の話ばかりする
  • やたらと意識の高い発言をする
  • 過去の武勇伝ばかりを話す
 
このようなところでしょうか。
確かに、ずっと一緒にいると面白くないし
そばにいる人は疲れるかもしれません。
過度な発言は確かに煙たい存在であることは理解ができます。
 
それでも、彼らの純真さや素直さを
眩しいと感じる瞬間があります。
 
 

2.痛い人こそが自分の人生を生きている

 
痛い人が持っている輝きは何でしょうか?
それは彼らの近眼さだと私は考えています。
大人になるにつれ近眼であることは、好まれなくなります。
仕事の上でも人間関係でもメタ認知のような
俯瞰的な能力が求められる機会が多くなるからです。
 
 
◎近眼と俯瞰については過去のコラムで解説しています。
こちらからどうぞ。
近眼であることは、ネガティブに捉えられることも少なくありません。
周りが見えていなかったり、自分本位であったり…
 
誰もがどの場面においても
俯瞰的な視野ばかりが求められるようになりました。
ふと私自身を振り返っても、俯瞰的であることを求められるばかりで
気づいたころには、すでに
近眼的に立ち振る舞うことができなくなっていました。
 
だからこそ、彼らの近眼さというのは金です。
失った近眼を取り戻すことは難しいです。
一度俯瞰的な立場に戻るとその快適さから離れられず
自分の人生を生きるということのハードルの高さを痛感するからです。
 
だからこそ、痛い人自身が生きている
「自分の人生」
というものが羨ましくなる瞬間があるのです。
 

3.指した後ろ指の数だけ、自分の生きる道は潰される

痛い人は社会にもまれていき、やがて淘汰されていきます。
それでもなおとがった自分のまま生きている人に出会う瞬間があります。
出る杭は打たれます。
それでもなお、散々打たれてきてもなお
負けじと自分のスタンスを変えないところに
不屈の精神を感じます。
絶対に譲れない、ブレない精神をもち続けることは重要です。
ブレないことがその人の強さになり
その人の魅力になるからです。
 
詳しくは過去のコラムで解説しています。
こちらからどうぞ。

 

doppy-yan.hatenablog.com

 

一見ダサいように見えて、彼らの言動には一本筋が通っています。

それはどうなんだ…という言動だけが問題なのであって

これをクリアできれば、彼らの持ち合わせている一貫性から

既に魅力的な存在なのです。

一貫性というものは簡単に手に入りません。

 

  • 周りを見て、風見鶏のように考え方を変える人
  • 誰かが批判しているのを見て、それに便乗して一緒になって批判する人
  • 人によって明らかな態度の取り方を変える人
  • 一貫性のある彼らに後ろ指を指して、バカにする人

 

私もとっさにそういう反応をしてしまうことがあります。

そして、いつも後悔します。

 

自分の色がある人、自分の考えを持っている人を

あげつらってバカにしている人こそが一番愚か者です。

 

何者かになろうと努力している人、自分を表現している人

自分の気持ちのままに生きている人にむけて

後ろ指を指す人こそが救いようもなくダサいのです。

 

自分自身は何者かになりたいのに

失敗したときを考えて、もっともらしい理由を並び立てて挑戦をしない。

でも、当然の権利のようにして

出る杭に対して、ジメっとした後ろ指を指すのです。

 

なんと格好の悪いことか。

それに対して、痛い人を経験したひとは立派です。

過去のこの時期を黒歴史としながらも、それを飲み込む度量があります。

 

痛い人と言われたり、意識高い系と揶揄される時代を経てこそ

チャレンジ精神やへこたれない不屈の精神が磨かれるのです。

 

だからこそ、意識高い系や痛い人と呼ばれたほうが

いっそおいしいのです。

 

差された後ろ指なんてへし折ってしまえばいい。

 

彼らに左右されて自分の生きたい道を変える必要なんてないのです。

勝手に言わせておけばいいのです。

自分の気持ちを信じて進む能力は

過去の経験によってこそ、育まれるものです。

 

 

周りの意見なんて気にしないでどんどん進むこと

 

誰かに指を差すようなツマラない人間になって

風見鶏のようなダサい人生を送りたくないのなら

 

そしたらまた。

 

 

◎媚びずに生きたほうが絶対にいい理由について解説しています。

こちらからどうぞ。

 

doppy-yan.hatenablog.com

 

doppy-yan.hatenablog.com