意識高い系と痛い人。痛い人が羨ましくなる瞬間。彼らに後ろ指を指す人になりたくない理由
1.イタいとは何か?
- 自分の話ばかりする
- やたらと意識の高い発言をする
- 過去の武勇伝ばかりを話す
2.痛い人こそが自分の人生を生きている
3.指した後ろ指の数だけ、自分の生きる道は潰される
一見ダサいように見えて、彼らの言動には一本筋が通っています。
それはどうなんだ…という言動だけが問題なのであって
これをクリアできれば、彼らの持ち合わせている一貫性から
既に魅力的な存在なのです。
一貫性というものは簡単に手に入りません。
- 周りを見て、風見鶏のように考え方を変える人
- 誰かが批判しているのを見て、それに便乗して一緒になって批判する人
- 人によって明らかな態度の取り方を変える人
- 一貫性のある彼らに後ろ指を指して、バカにする人
私もとっさにそういう反応をしてしまうことがあります。
そして、いつも後悔します。
自分の色がある人、自分の考えを持っている人を
あげつらってバカにしている人こそが一番愚か者です。
何者かになろうと努力している人、自分を表現している人
自分の気持ちのままに生きている人にむけて
後ろ指を指す人こそが救いようもなくダサいのです。
自分自身は何者かになりたいのに
失敗したときを考えて、もっともらしい理由を並び立てて挑戦をしない。
でも、当然の権利のようにして
出る杭に対して、ジメっとした後ろ指を指すのです。
なんと格好の悪いことか。
それに対して、痛い人を経験したひとは立派です。
過去のこの時期を黒歴史としながらも、それを飲み込む度量があります。
痛い人と言われたり、意識高い系と揶揄される時代を経てこそ
チャレンジ精神やへこたれない不屈の精神が磨かれるのです。
だからこそ、意識高い系や痛い人と呼ばれたほうが
いっそおいしいのです。
差された後ろ指なんてへし折ってしまえばいい。
彼らに左右されて自分の生きたい道を変える必要なんてないのです。
勝手に言わせておけばいいのです。
自分の気持ちを信じて進む能力は
過去の経験によってこそ、育まれるものです。
周りの意見なんて気にしないでどんどん進むこと
誰かに指を差すようなツマラない人間になって
風見鶏のようなダサい人生を送りたくないのなら
そしたらまた。
◎媚びずに生きたほうが絶対にいい理由について解説しています。
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