さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

ダサくなりたくないという動機づけの力強さ。心のなかに灯台をもって生きろ。

ダサいという言葉は強烈です。
誰かにそう思われるとショックだし
ふとした瞬間に自分自身に対して
ダサいと感じて情けなさでいっぱいになることもあります。
 
ダサいと思われたくないという気持ちは
非常に強く、その動機づけは強力なのです。
 

 

1.ダサさとモテの関係性

 
最近ダサいと言われたことはありますか?
誰かからダサいと言われることは
あまりないでしょう。
それはダサいということが強烈で
酷く人を傷つけるからです。
 
よって物事に対してダサいと
発言をすることはあっても
人に向けて言うことはあまりありません。
 
そして、言われることを恐れています。
ダサいという発言をみな回避したいと考えています。
 
ダサくないことは
モテにおいて最低限の必要条件です。
 
身だしなみはモテの基礎で、ダサくないことは非常に重要です。
 
くわしくは過去のコラムで解説しています。
こちらからどうぞ。
 

2.ダサい要素は二つに分解できる

 

ダサいとは一口に言っても
大きく分けてそれは、ハードとソフトの二つに分かれます。


ハード面でのダサさとはビジュアルの善し悪しではありません。

身のこなしです。


例をあげます。

想像してみてください。

 

あなたが仮に、素敵だなと思っている人がいます。
その人と初めて食事をすることになりました。

実際に会って食事をすると、会話は楽しいのですが

その人は、クチャクチャと鳴らしながらごはんを食べています。

 

どうでしょうか?

 

少なくともプラスの印象は与えないと思います。


それに対して、気になっている人が

魚を骨だけになるまでキレイに食べていたらどうでしょうか?


きっと育ちがいいとか、しっかりとした人というプラスの印象を抱くでしょう。


つまり、身のこなしによっては相手をダサいと感じます。
反対に美しい身のこなしは、十分あなたの美徳になるのです。

 

次にソフト面について


ソフト面でのダサさとは、もちろんあなたの内面です。
それは思考の仕方のことを指します。


ネガティブ思考な人とポジティブ思考な人の場合どちらが魅力的でしょう?
ネガティブ思考だからこその会話の面白さはもちろんありますが
ずっと一緒にいて楽しかったり、相手を魅力に思うのはポジティブ思考の人です。


自分のスタンスを曲げてまでして誰かに媚びるな

と私は以前にお話ししました。


でも、他人に媚びるためにポジティブ思考になれと言っているのではありません。
ネガティブになることはそもそも自分にとって良くないし
そのネガティブな言動こそがダサさの原動力だからです。
あれこれグチャグチャと文句を垂れているなら
楽観的にとらえてさっさと行動したほうがいい。

 

そう私は考えています。

 


賢者であるかのように
やらない理由を考察して並び立てている瞬間が最も愚者


なのです。


ロジカルに思考を積み立てているときこそ、注意しなければなりません。
放っておくとどうしてもそっち側に引っ張られてしまうからです。

 

3.心のなかに灯台を持つ

 
ダサくならないためには何が必要でしょうか?
それは自分の中に絶対に譲れない軸を持つことです。
 
これだけは守りたいという信念があることが重要なのです。
背中に硬い定規を入れているようなイメージですね。
どう頑張っても、自分を曲げることができなくなります。
 
なぜそれが良いのか?
それは自分の中に一貫性ができるからです。
 
ひとつ自分のなかに絶対に譲れない信念ができれば
迷って紆余曲折することがあっても、あなたは道に迷いません。
 
船は、灯台の光という絶対的な存在があるから、闇夜でも海路に迷いません。
事故に遭ったり、暗礁に乗り上げることを回避できます。
 
これは人間も一緒。一つ絶対的なものを胸に抱えている人はダサくありません。
一貫性がある人は美しい。
誰かになびかない強さがそこにはあります。
 
雨の日も、強風の日も、雪の日もそこにたたずんでいて
揺るがない光をまっすぐに発しているところに人は魅力に感じるのです。
 
そのブレないところはもはやダサさとは無縁です。
誰かにたやすくダサいと思わせない気丈さこそが
人の持つ美しさであり、ダサさと対極にあるモノです。
 
だからこそ、ダサさを恐れてモヤモヤするくらいなら
さっさとひとつ自分の中に譲れない軸を持ってしまえばいい。
 
そして、行動一つであなたのダサさは変えられることを忘れないで。
 
 
そしたらまた。