さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

昔は良かった的発言をする大人になれなくてよかったと思う理由

 

 

 

 

1.悪意なき発言ほどに染みる毒はない 

 
 

40歳以上の上司がよく言う言葉 

昔は良かった 

彼らはことあるごとに言ってくる 

これに対して私は返す言葉を持ち合わせていない。 

いつも言われるたびに口をつぐんでしまう。 

 

 

誰の目から見ても日本の今の景気が悪いことは明らかだ。 

最近ではスーパーの買い物をしているだけでも 

明らかな物価上昇をひしひしと感じる。 

サラダ油が350円くらいする。 

ちょっと前まで半額くらいだったように記憶している。 

これほど明らかな変化は今までの30年に満たない人生の中でも記憶にない。 

 
話を戻す。 

40代以上の彼らは職場の良かった時期を知っている。 

平日の仕事終わりには勉強会という名のタダ飯が存在したし 

休日には接待でゴルフ三昧なというような生活をしていた。 

そこだけには限らず、職場の環境にも余裕があったという話を聞く。 

しきりに例をあげて話をする彼らに対して私は複雑な気持ちを抱く。 

 

彼らは何かしらの改悪されたことに対しての不満がすごい。 

ことあるごとに 

「昔は良かったのにねぇ」 

というような発言をする。 

 

この言葉は魔法の呪文だ。 

そして私はその言葉を聞くと、とても白けてしまう。   

どんな言葉を返してもただの一ミリもいいことは起きないのに 

むなしい気持ちだけは掻き立てられるからだ。 

 

仮に彼らの言葉に同意したとしよう。 

当然、現実は一切変わらない。 

彼らはそのよかった時代を知っているわけであり 

嘆いているようで懐かしんでいる。 

しかしながら、私は自分の不遇さを認めることになる。 

私は彼らと同じ土俵に立っていないのだ。 

そうなると、ただ日々を暮らしている生活の基準が 

主観的なものから相対的なものに変わる。 

今の生活の満足度を引き下げられたような気持ちになるのだ。 

自分を含め、若者たちがひもじくて 

可哀想という針を飲まさせられる 

これを肯定すると自分で自分に対して 

可哀想だというレッテルを貼ることになる 

それが嫌だから同意はしたくないのだ。 

 

というか、そもそも懸命に今を楽しく生きようとする人に対して 

可哀想だっていうのは失礼な話じゃないのだろうか? 

 

 

逆に突っぱねてみたらどうだろう。 

この場合はどうしても無理がたたる 

実際に余裕があるわけではないからだ。 

強がっている感覚がどうしても拭えない。 

そして強がっていることは大人たちが一番理解している。 

さらに、客観的に見てそんな若者はかわいらしさに欠ける。 

くだらないところで敵を作りたくはないのだ。 

無難なシチュエーションでは好かれたいという悪い癖が出る。 

 
 
よって私はどっちを選んでも複雑な気持ちになる。 

言われなければ、堂々巡りな思考に絡め取られることもなかったのに、と思う。 

だから私は 

「昔は良かったのにねえ」 

という発言に対して 

曖昧な笑みを浮かべて口をつぐむことしかできない。 

 
 

2.本当に昔って良かったの? 

 

彼らは昔が良かったことを信じて疑わない 

でも私はそこに一石を投じたい。   

やや強がり的に見える目線を自他ともに認めるが 

若いからこその強引さとして目をつぶってほしい 

 

昔はそれこそ景気も良く今の若者が主に 

悩んでいる問題はなかったのではないだろうか。

彼らが20代のころは、老後の資金だとか、親戚問題や 

実家問題、親の介護であったり、投資信託の銘柄選定などを

考える必要はなかった。 

友人関係や純粋な恋愛に集中できた部分はあっただろう。 

何もかもを計算をしてしまう今の私のような人生選択を 

しなくてもよかったのは社会に余裕があったからなのだろう。 

確かにこれは羨ましい。 

自分のピュアさに欠ける部分に嫌になる瞬間がある。

 

でも彼らが若いころに諸々の問題に取り組めなかったことも 

一つ問題であっただろう。 

大の大人になってからこれらの大きな問題に取り組むには 

あまりにもエネルギーの要ることだ。 

その点で考えれば今のほうが恵まれている部分もきっとある。 

  

3.昔は良かったと言う大人になれなくてよかった理由 

 
彼らが昔はよかったという発言の多くは 

職場がらみのことが多い。 

企業が接待してくれた話ばかりをよく聞かされる。 

自腹でなくとも楽しめることは魅力である 

でも本当にそれが昔は良かった話の十分条件だろうか? 

コロナの都合もあり今は、飲み会がガッツリと減った。 

それだけではなく、休日の勉強会、講習会などもオンラインになり 

現地に赴く時間的、金銭的コストも必要とはならず 

在宅で参加することができる。 

 

これは現代の恩恵だろう。 

自分の時間を自由に使ってよい権利とも捉えられる。 

好きなことだけしていいという点は大きい。 

余裕がないおかげで必要なものと不必要なものに 

対してアンテナが張り巡らされている。 

おかげで自己実現を達成しやすくなったのではないだろうか。 

つまり、自分の人生を生きやすくなったのだ 

 

いまの定年世代は仕事を辞めた後に趣味がなくて 

困る人たちが多くいると聞く。 

これは彼らがある意味、この好景気による恩恵に 

左右された結果なのだろう。

 

僕が、当時の時代を生きていたら 

おそらく漫然と暮らしていたのではないだろうか。

少なくとも真剣に自分の生き方を考える、なんてことはしていない。 

ただ毎日楽しく過ごすことに力を注いでいただろう。 

 

 

4.それでも今を生きてよかったと思いたい 

私は今に生まれてよかったと思う。 

強がりではない。不景気のほうが 

人間の根源的な部分を見つめられるような気がするからだ 

歴史上の好景気は非常に短い。彼らはよかった昔をスタンダードだと思っている。 

でも歴史の長い目で見ると、好景気のほうがむしろ異常だったのだ。 

それならば、自分たちが生まれた今のほうが普通といえる。 

 

彼らの発言に気持ちを複雑にする意味はないのだ。

自分の生きている時代を否定するほど 

私はまだ社会に絶望していない。 

だから可哀想だと思っても放っておいてほしい。 

というか、その発言をするなら一回くらいごはんを奢ってほしい 

言葉はいらない。言葉よりも態度でやさしさの体温を測りたい。 

 

あと「昔は良かった」という発言に対して 

お互いが複雑な気持ちにならないベストな回答を 

持ち合わせている人がいるなら僕に教えてほしい。 

 

そしたらまた。

 

 

 

◎他世代と比べる中で見えてきた職場における優秀な人材について

こちらからどうぞ。

doppy-yan.hatenablog.com