ダサい断捨離、ミニマリストの特徴
世の中は空前の断捨離ブームです。
断捨離を活用したビジネス、フリマアプリやリユースショップはこの低迷する経済下でも活況です。
断捨離を説く人の多さや著名人が声を大にしていること、あちこちで頻繁に耳目を集めることで世間の関心も高まっています。
私も断捨離することはいいことだと思っていました。ですが、これは自分の意志じゃなくて周りに流された結果なんじゃないかと違和感を抱くようになりました。
よって今は、断捨離はすべての人に共通する美しい概念ではないと考えています。
そもそも断捨離はなぜ必要とされるのか。
それは、生活が豊かになったからなのです。
より良い豊かな生活を追い求める過程で購入、獲得してきたもののうち、時間が経って振り返ったときに本当に必要なのかという問いかけが起きて初めて断捨離という概念が輝くのだと私は思います。
洋服や部屋にある生活小物に関しては私も完全に断捨離すべきだと思いますが、断捨離的思考が最近は拡大しすぎているのではないか?と思うのです。
モノを買うことのデメリットについては
過去のコラムで解説しました。
詳細はこちらから。
拡大した「断捨離」は「ミニマリスト」につながると考えていますが、私が疑問を抱くのは過程を経ずした作り上げた「ミニマリスト」が本当に適切なのか?という点です。
ミニマリストを説いている人の本を読むと、生活におけるすべてのものを持っている状態からスタートしている人が大半です。
その生活の中で不便や気づきがあって自然と物が減っていき、結果としてミニマリストになった。という人が大半です。
つまり、ミニマリストにおいて重要なのは、現在ミニマリストである結果ではなくて、到達するまでの過程なのです。
豊かになりたいと思わない人はいません。
それにもかかわらず、豊かな生活を経験をせずして本やコラムの受け売りを鵜呑みにすることになにか純粋に「ミニマリスト」を推し進める人とは異なる嫌らしさを私は感じます。
というのも、この嫌らしさの正体が心理学的に見ると「合理化」の現れであるからです。ひたすらに豊かになりたいと思うことがもっとも自然です。
金満的な暮らしをした経験があってはじめて、真の意味で断捨離、それがなくても本当に豊かに暮らせると気づけるのではないでしょうか?
ミニマリストの本を読んで車のような生活を豊かにする道具がない生活を実践しても、ダメなのです。
これは、現状の豊かでない生活において選び取れない選択肢の痛みを「ミニマリスト」という概念の麻酔でごまかしているだけなのです。
ダサい断捨離、ミニマリストとはこういう人なのです。
そして「ミニマリスト」という概念が若者の中で広く受け入れられていることは全くをもって好ましい傾向ではないと考えます。
これは、貧しい環境から脱却できない、脱却しようとしない大量の若者がその痛みをごまかすべく、合理化のツールとして利用しているからです。
金銭的都合で手に入れられないものに対して「断捨離」の気持ちが発動したなら、それは本当に不要なものなのか。それともシビアな現実に対して目を背けた結果の現れなのか。
よく考える必要があるし、私も気をつけたいと思いました。
そしたらまた。