さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

中島岳志さん「思いがけず利他」を読んで。 ボランティア活動を胡散臭いと感じてしまうあなたへ。

進学時や就職活動のときに

 

その人が学生時代に何に取り組んできたか?

 

というのは重要な項目です。

 

日本では勉学に励むことはもとより

どんな部活をしていたか、ボランティア活動をしてきたか

という課外活動が見られます。

 

 

私はボランティア活動に対してモヤモヤしていました。

学校の活動では定期的にボランティアの有志を募っていました。

そのうたい文句として

「推薦や内定を取るならボランティア経験があったほうが有利」

という言葉をよく耳にしたからです。

 

 

日本では海外に比べて

職場の採用基準としてボランティア活動や勉学をあまり重視しません。

それよりもどんな部活をしてきたかがずっと重要であることを学生は知っています。

そして、自然とボランティア活動に参加する学生は少なくなってしまうのです。

 

 

私がモヤモヤしているのは

日本の学生のボランティア活動に打算的な動機がくっついていることです。

慈善行為をすることに潜む打算に違和感を覚えます。

慈善という利他の顔をした自分のための利己的行動に見え

むしろボランティアをすることがかえって利己的に見えることがありました。

 

ミシマ社出版の、中島岳志さんの「思いがけず利他」という本を読みました。

 

 

ミシマ社の本はとても面白くて大好きです。

大学の有名な先生方が

手の出しにくいような哲学的な話を

現代人の私にもわかりやすいようにかみ砕いて説明してくれます。

とてもタメになるし学びの深い

人生観を豊かにしてくれる本を届けてくれる大好きな出版社さんです。

 

 

この本で問われているテーマは利他。

  • 対義語である利己との違いは何であるか?
  • 利他であるためには何が必要なのか?

ということに対して書かれた一冊です。

 

とてもよかったので今日はその話を。

 

 

先に述べたようなボランティアに潜む打算の話について考えてみます。

私がモヤモヤしていたのは

一見利他的に見える言動に

隠れている強い利己に違和感を感じている

ということです。

 

 

 

ヒンディー語の文法には与格という構文があります。

「私は嬉しい」と言うには

「私に嬉しさが留まっている」という表現になるそうです。

この構文に利他の精神が現れているのだと中島さんは述べています。

 

 

つまり、感情という自分で制御できないもの。

自分の意思と関係なく情動は降ってきます。

心が動いて、その情動が私の中にとどまっている状態が与格的な表現です。

とある事実に心を打たれ、身動きさせる要素が私の中にとどまっていて

打算とかそういうことを考える暇もなく体が動いてしまう。

その結果、合理的でない判断を下してしまうことさえあるのが利他なのです。

 

 

ボランティアに対してもそう。

ボランティアすることに軸を置くのではない。

自分が主格となってボランティアをするのではない。

ある事実に対して気づいたこと。

それをどうすれば働きかけることができるのか?と思考を巡らせた結果です。

ボランティアさせる情動が私に留まっている状態なのです。

とある問題が起きて、その事実に感じ取った情動に居ても立っても居られず

ボランティアという形で出力されるということが

本来のあるべき慈善活動の姿なのです。

 

 

この要素が日本人のボランティア精神に

大きくかけていることなのだと私は思います。

 

そして、この感覚を取り戻す必要があるのではないでしょうか?

だからこそ、ニュースをよく見て社会問題に一人ひとりが興味を持つこと。

そして、当事者感覚をもって生活し、それに向き合い続けることが必要なのです。

 

 

もやもやを解く素晴らしい1冊でした。

興味があれば是非読んでみてほしいです。

 

そしたらまた。