さとブログ

アラサー独身男。日々の学び。毎日更新。

専業主婦という職業と人的資本について

昨日の節約についてのお話を専業主婦という職業にフォーカスして切り取ってみます。

 

〜あらすじ〜

 

私の親戚には非常に倹約家の家庭があります。

その家庭は、妻が専業主婦の片働き世帯でした。夫は幼い頃、両親が共働きの鍵っ子で、子どもには同じ思いをさせたくなかったそうです。その思いを汲んだ妻は専業主婦になりました。

 

一般的なサラリーマン世帯であるその家庭は、決して裕福とまではいかないものの非常に倹約家であった妻と理解ある夫の働きにより40代半ばまでの間に1000万円を貯め、そのお金をマイホームの頭金としました。

 

その節約精神は凄まじく、季節に応じて野山で山菜を収穫し、食べられるものはなんでも収穫して食べていました。

節約意欲は食品に限らず、自分で化粧品を作ってみたり、マイカーに関しても当時では珍しく同じ車を20年以上乗りつぶしていました。

また、旅行等は一切と言っていいほどしていませんでした。

 

 

夫が定年退職をすると、毎日家には二人でいることになりました。専業主婦であったこともあり、ご飯支度の一切が妻の仕事であったその夫婦は、3食すべて妻が作らねばなりません。

次第に毎日家にいる夫に対しての不満が募るようになります。

 

常時不満のある妻は、自分に納得のいかないことがあるとすぐに沸点が上がり、最近はよく兄弟で喧嘩になるようです。

 

 

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この話を知って、私は専業主婦という職業があることに嫌だなと思いました。

いまの若者世帯で専業主婦はほとんどいないですし、もはやサザエさんは時代劇と捉えられるような時代です。

私が専業主婦に対して嫌なところは収入経路を夫しか持たない点ではありません。

嫌妻のコミュニティを奪ってしまうことが嫌なのです。

 

専業主婦になれば普段接する人の数はめっきり減ります。仕事をしていれば知り合いや友人も増えるでしょう。仕事に対する不満はあってもそれを共有できる仲間がいるという点が大きいのです。

 

また、主婦になれば自分を認識してくれる機会も少なくなります。「〇〇さん」と名前で呼ばれるよりは「〇〇くんのお母さん」や「〇〇主任の奥さん」となります。

つまり、自分を紹介するには家族の誰かの名前をなしに説明することが難しくなるのです。自分をメインに据えた認識をされる機会が減ってしまいます。

 

もし妻が働いていたなら、夫に対するストレスがあっても職場でできた友人や知人とランチや温泉に出かけて、愚痴をこぼす機会もあるでしょう。

 

このような機会がないから夫婦仲が悪くなったり、毎日家にいる夫に不快感を抱くのではないでしょうか。そして愚痴のはけ口がないため、些細なことで怒ってしまい、親戚と喧嘩をふっかけ次第に孤立する。

 

というサイクルになるのです。

 

 

そもそも鍵っ子が嫌だから妻に仕事をさせないというのは、自分本位すぎるでしょう。何かしらの形で働くことはできたと思います。

無理に生涯働くべきだとは思いませんが、可能であるなら働いたほうが良いと思います。

 

働くことの対価はお金だけじゃないのです。

学んだことは自分の資本になるし、そこで得られる人間関係は買って得られるものではないし、尊いことを忘れてはいけません。

 

 

そしたらまた。